前稿(No.5272)では、スピリチュアルケア(以下、SC)の前提となるスピリチュアリティについて、対象者の「生活文化」という視点から考えてきた。本稿では、臨床宗教師のケア活動において、いかなるSCが行われているのかを紹介する。なお倫理的配慮として、紹介する事例はケアの本質を失わない範囲で改変したものである。
筆者の考えるSCとは、患者が喪失を経験する日常生活や人間関係、社会関係などの意義を確認し、支えとなるものを共に探る営みである。生活習慣にも配慮すると、SCにおける文化や地域性の重要性が浮かび上がってくる。ここではAさんとの関わりを例に、その意義を考えていく1)。
Aさん(60歳代、男性)は、病気をきっかけに住み慣れた関西地方を離れ、別の地域に住む家族と同居生活を始める。その地域では医療資源も豊富で、主治医による適切なケアも施されていた。複数の近親者が介護をサポートし、家庭関係も円満に見えた。あるとき、Aさんが宗教者との会話を希望したため、臨床宗教師との面談が設定される。そのニーズは、ある歴史上の人物について話を聞きたいというものであった。
臨床宗教師は十分に下調べをし、その人物の説明を行った。しかし、返ってきたのは「そんなん知ってます」という反応。では、何を期待していたのか。徐々にその理由が明らかにされる(以下、括弧内は臨床宗教師の内面)。
A「あの方、途中から耳が聞こえへんようになったでしょ。怖くなかったんですかねえ?」
臨「(ん〜、なんと答えようか……)私にはよくわからないんですけど、私だったら……怖い、ですね。修行しても、やはり怖いものは怖いと思うんですよ」
A「ああ、やっぱり……」
臨「(がっかりさせただろうか)」
A「修行した人でも怖いんやなあ。安心したわ。私も怖くて、怖くって……死ぬのが。もしかして、“怖がり病”になってしもたんかと思って。それが怖かったんですわ(大笑い)」
臨「何を言うてるんですか(笑)。でも、その病気、ほんまにかかったら確かに怖いですね!」
Aさんは、ずっと「ある人物」を支えに生きてきた。その「耳が聞こえなくなった」ことに自らの境遇を重ね、「死ぬのが怖い」という想いを表出したのである。決して「知識」や「答え」などの解決方法を求めていたわけではなかったのだ。
さらに、ここで示されているのは、地域性を前提としたSCのあり方である。Aさんは、慣れ親しんだ地域を離れたために、文化の違いを感じていたという。会話では、“怖がり病”になったと冗談を交え、自らの感情を表現している。これは関西風の「ボケ」ともとらえられる。そうであるならば「ツッコミ」を入れることで、やり取りが成立する。些細なやりとりに見えるが、対象者の地域性や間合い、呼吸にも配慮した関わりの一環ともいえる。
宗教者としてSCに関わるとき、慣れ親しんだ地域性や文化を前提とした関わりが求められることも少なくない。地域性に配慮したSCを考えるとき、特に地元に根を張った宗教者の関与が期待されるところである。
【文献】
1) 井川裕覚:治療. 2023;105(12):1515-9.
井川裕覚(淑徳大学アジア国際社会福祉研究所主任研究員)[臨床宗教師][スピリチュアルケア]
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