株式会社日本医事新報社 株式会社日本医事新報社

武藤正樹

登録日:
2025-01-15
最終更新日:
2025-08-19
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  • 「医療計画の過去、現在、未来」

    1986年に施行された第一次医療法改正によって、日本に医療計画が導入された。この医療計画によって初めて病床規制が導入され、二次医療圏ごとに必要病床数の上限規定が設けられ、それ以上病床数が増えないように規制をしたのだ。

    当時、筆者は横浜市にある国立横浜病院(現:国立病院機構横浜医療センター)で外科医として働いていた。神奈川県でも医療計画が始まるというので、県主催の説明会に参加した。当時の神奈川県の衛生部長が壇上から説明をしたが、外科の臨床医だった筆者には、内容は皆目よくわからなかった。ただ、病床数をこれ以上増やすことができなくなるらしいということはわかった。そのころは、まさか自分が後年、国立医療・病院管理研究所において、医療計画の研究に携わったり、「第6次医療計画の見直し等に関する検討会」の座長を務めるとは思ってもみなかった。

    さて、医療計画導入時には様々なエピソードがある。1つは、駆け込み増床だ。医療計画が始まると、病床規制によって病床数を増やすことができなくなる。このため全国で、医療計画が始まる前の駆け込み増床が起きたのだ。これによって、全国でなんと20万床も病床数が増えた。これが、現在の日本における過剰病床の原因の1つとなっている。病床規制が皮肉にも過剰病床をもたらしたというワケだ。

    もう1つのエピソードは、以前勤務していた国際医療福祉大学の高木邦格理事長から聞いた話だ。高木理事長の父である高木維彦氏は、福岡県大川市にて高木病院を経営していた。この高木維彦氏が、医療計画の話がでてきたときに、医療計画の規定を神棚に祀って、参拝したという。理由は簡単だ。「これでわが高木病院は未来永劫安泰である」と思ったとのことだ。つまり、医療計画は、既存の病院にとっては、地域に新参の病院の流入を阻止し、既得権益を守ってくれる守護神のようなものだということだ。

    こうした医療計画による病床規制のあり方については、何度か見直しの気運があった。医療機関の新陳代謝を図るために、競争的な市場環境を整えるべきではないか? 患者に選ばれない医療機関の環境を整えた上で、医療計画を廃止してもよいのではないか? といった観点から、医療計画の見直し議論が繰り返されてきた。

    しかし、医療計画を廃止したら、巨大資本による病床数1000床の病院が続出して、医療の寡占化が始まる。そもそも医療に市場主義はなじまない、などといった議論に押し戻され、依然として医療計画が存続している。

    ところが、これから日本は人口が激減する。1990年には、病院数も1万施設以上あった。しかし、現在では8000施設を割ろうとしており、今後さらに病院数が減少するのは目に見えている。病床規制としての医療計画は、もはや役目を終えている。これからは、老い縮みゆく日本の姿に合わせてつくられる「新たな地域医療構想」が、主導権を握るだろう。

    武藤正樹(社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ理事)[医療計画病床規制

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