麻疹(はしか)は、昔より「命定めの病」として恐れられていたが、一方では、「若者の色恋は麻疹のようなもの」と、誰でも罹る病、通過儀礼としてとらえられていた。今は幸い、研修生はもちろん、中堅の小児科医ですら「見たことがない」くらいの稀な感染症となった。ワクチンによる大きな予防効果である。
しかしこの頃、「〇〇県あるいは〇〇市で麻疹発生、接触した可能性のある人は注意を」といったニュースに触れることが多くなっている。多くは海外で感染し、日本に来て(あるいは帰国して)発症した人々である。今のところ、国内で大きな流行となる事態は避けられている。これはやはり、多くの人が既にワクチン接種による免疫をあらかじめ持っており、発症すると重症化する恐れのある麻疹の広がりを未然に防いでいるということに他ならない。しかし、免疫を持っていない人にとっては、要注意であることは言うまでもない。
海外では、ヨーロッパ・南北米・アジア・アフリカなど、広い地域で再び麻疹が増加しており、年間数千例規模の発生を報告している国もある。また、その多くは麻疹ワクチンを受けていない(受けられない、受けたくない)人々の発症である。2025年に入り、米国で1200例以上、カナダで2000例以上、モンゴルで9000例以上、ベトナムではこの1年間に4000例以上の患者発生があり、それぞれで死亡者も出ている。
2000年前後、世界では多くの国が麻疹の発生数を大きく減少させている中、日本では流行が抑えられておらず、日本からの旅行者による麻疹発症が海外で相次ぎ、欧米や近隣の国々から名指しで「日本は麻疹の輸出国である」と、非難を受けた。WHOの会議で、南米のある国から「わが国は日本の技術支援で麻疹ワクチンが行きわたり、診断試薬の普及で正確な診断ができるようになった。日本に感謝する。しかし、頼むから麻疹そのものまで持ち込まないでほしい」と発表され、非常に悔しい思いをしたことがあった。
しかしその後、日本は真剣に麻疹対策に取り組み、2015年3月にWHOから麻疹排除国として認定され、10年後の現在もその状態は維持されている。これは、医療機関、検査機関、研究機関、保健行政機関、教育機関、ワクチン製造・販売機関、報道機関、そして保護者等、多くの人々によるall Japanでの取り組みの結果であると言える。
現在の日本は、「麻疹輸出国」から「輸入国」に転じたわけだが、流行拡大に結びついてはいけない。海外との人の行き来がコロナ前よりもさらに増加している今、人の動きを止める、あるいは水際での検査や、ワクチン接種を求めるのは非現実的である。となれば、我々は、ウイルスの侵入に対して自分たちを守る、普段から「鍵をかけておく」ことが重要となる。その鍵は、麻疹ワクチンの接種に他ならない。
ところで、国は「麻疹」に関して「麻しん」という平仮名交じりの表記を用いている。医学用語は「麻疹」であり、「麻しん」では、麻の実のような発疹が出る病気という意味が伝わらない。「疹」は常用漢字に含まれていないため、法律では「麻しん」という表記が採用されており、すべての行政文書で「麻しん」となっている。そのために、ワクチンも「麻しんワクチン」という名称となってしまっている。日本語としてその意味が伝わる「麻疹」という語はきちんと継承すべきではないだろうか。
岡部信彦(川崎市立多摩病院小児科)[麻疹][感染症]
過去記事の閲覧には有料会員登録(定期購読申し込み)が必要です。
Webコンテンツサービスについて
過去記事はログインした状態でないとご利用いただけません ➡ ログイン画面へ
有料会員として定期購読したい➡ 定期購読申し込み画面へ
本コンテンツ以外のWebコンテンツや電子書籍を知りたい ➡ コンテンツ一覧へ