本稿は依頼を受けて、『識者の眼』欄に執筆していますが、かねてより筆者には疑問があります。識者≒有識者ですね。では「有識者」とは何でしょう。
辞書には、「学問がある」「見識が高い」の2条件、または前者のみで定義されているようですが、では芸能やモノづくりの人間国宝のような方々は、領域によっては「学問」不問ですから、資格はないのでしょうか。また、見識の高低は、いったい誰が(何様が)判定するのでしょうか。
有識者会議とか懇談会とかが、重要な国策の審議などに召集されます。これに招かれるのは、さぞ名誉なことでしょう。ただ、あくまで噂レベルですが、有識者として招かれる条件は、『会議で発言しない』ことなのだそうです。冗談にしても笑えません。
日本学術会議という団体があります。「有識者の団体」に異論はないでしょう。この会員任命に(当時の)政府が介入しました。排除されたのは、どうやら政府にとって不都合な人物らしく思われました。異論の排除は独裁への第一歩です。モノ言う学者が有識者に認定されないなら、本人はそれでよくても、国の未来にとっては結構恐ろしいことです。まともな国の政府なら有識者に「金は出しても口は出さない」……そうあるべきです。
モノ言う学者にも疑問があります。その人は本当に、振られた話題すべてに堪能でしょうか。そんなわけありません。専門領域の第一人者も、ほかの分野では素人です。素人ならではの卓見もたまにはあるでしょう。しかし、「まぐれ」はあくまで「まぐれ」です。
有識者とテレビ・バラエティのコメンテーターとはよく似ていると思います。しかし,違いが2つあります。有識者は公的機関に認証された名誉職であること(本欄の「識者」との違いでもあります)、そしてコメンテーターとは逆に、もしかしたら沈黙が金かもしれないことです。あのコロナ禍でも、医師なら誰もが知るモノ言う専門家が、見事に排除されていたと感じています。ご本人のご意向だったのかもしれませんが。
有識者もコメンテーターも、専門外のことに発言を求められ、しばしば痛々しい姿を晒します。「学問がある」といっても専門の領域だけです。また、「見識が高い」のも、森羅万象すべてに対してではありません。テレビが所詮「お遊び」だとしても、トンチンカンな発言は、世論に大きな影響を与えるだけに有害です。まして国策決定の場に招かれて、専門外のことに承認を与えるのは、国が未来を誤る元になりませんか。とりわけ名のある学者さんは「人寄せパンダ」として利用されやすいと思います。実例をいくつも見た覚えがあります。
日本学術会議には、多様な学者による自由な議論の場であってほしいと願います。また、有識者の方々には、ご自身の立場と限界とをよく弁えていただきたいですね。「識者」になりすましている私も、素人の戯言かもしれないと臆しつつ、執筆しています。
目崎高広(榊原白鳳病院脳神経内科)[有識者][日本学術会議]