百日咳は、国内における死亡者数が年間数千人であったが、ワクチンや抗菌薬の普及によって、1950年代から20年ほどかけて数人程度まで下がった。筆者は1970年代前半に駆け出しの小児科医であったが、百日咳の患者を見ることはなかった。1974年に『ひどい咳』の患者の受け持ちとなったが、診察時に咳はなかった。病室の掃除のおばさんが「先生、さっきこの子が変な咳をしてたけど、あんな咳、前は百日咳って言って、よくあったよ」とささやいてくれ、正確な診断のヒントとなり、教授回診で大いに面目を施したことがあった。
1975年1月、DPT(ジフテリア・百日咳・破傷風混合ワクチン)接種後に2例の急性脳症による死亡例が判明し、因果関係は不明であったが、同年2月、国はDPT接種を一時中止した。当時のDPTは、菌全体を抗原とする全菌体型ワクチンであり、発熱・痛みなど副反応も強かったため、国立予防衛生研究所(現:国立感染症研究所)の佐藤勇治・博子夫妻によって、その後副反応発現率が低い無細胞型百日咳ワクチンaPが開発された。aPを含むDTPワクチン(DTaP)は1981年に導入されたが、百日咳発生数がワクチン中止以前に戻るのに10年、死亡数が1桁になるのに5年、ゼロになるのに10年を要している。ワクチン中止による自然感染・死亡者数の増加は、ワクチンによる事故の疑いで亡くなった数をはるかに凌駕したことになる。
aPは、最も副反応の少ない安全なワクチンとして海外でも多く用いられるようになり、世界の百日咳減少に貢献した。一方、このワクチンは長期免疫維持が弱く、学童後期〜大学生の年齢での百日咳発生が新たな課題となった。これに対応するため海外では、精製法等を改良した全粒子型ワクチンの再導入、小学校入学前と卒業前の追加接種、妊婦に接種し移行抗体によって出生した新生児を百日咳から守る、というようなことが行われるようになってきた。
世界各地で百日咳対策は進められ、発生数は低下していたが、COVID-19パンデミックの間はさらに低下した。しかし、ワクチン接種率もパンデミック中に低下し、パンデミック後に接種状況の回復が遅い国ほど、麻疹・風疹・ジフテリア、そして百日咳の発生数が増加している。
国内での百日咳の増加が今、話題になっている。百日咳ワクチンの接種回数を増やすことや、妊婦接種は有利であることなどは以前より学会などで提唱してきたが、任意接種であり、国としての長期的な百日咳対策の動きはこれまでにもない。一方、最近メディアなどでの情報を得た人々はワクチン接種を求め、ワクチンの要求は5倍に達することになり、出荷調整を行わざるを得なくなっている。
短期的には、小児の定期接種、特に乳児期の5種混合ワクチンをきちんと行うことや、ワクチンが入手できるのであれば妊婦接種を考慮することなどが重要な短期的対策である。現在の百日咳発生が少し収まってきたら、元の接種体制に戻ってしまうのではなく、接種回数、接種対象、生産量の検討、新たなワクチンの開発など、長期的な百日咳対策に直ちに今、取り組む必要があろう。我々は感染症を忘れてしまいそうだが、感染症は我々を忘れてはくれない。
岡部信彦(川崎市立多摩病院小児科)[感染症][百日咳]