文部科学省「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、2023年度の子どものいじめ認知件数は73万2568件と、年々増加している。「いじめ防止対策推進法」が2013年に施行されて以降、学校が初期段階のいじめを積極的に認知するようになった影響が大きいとされる。それでも生命や心身に重大な被害が生じた疑いがある、または長期欠席を余儀なくされた「重大事態」が1306件と過去最多だった。
筆者は2025年に多良間島の中学校を訪ねた。2024年に赴任した校長の安田一博先生は「人間関係があることですから、どこででもいじめは起こるものです」と話す。「赴任当初、いじめが何件かありました」。認知も難しい状況で、担任の先生が1人で抱える状態だったという。「なかなか表に出しにくいことですから、担任の先生も1人で抱えてしまう。それなので1人で抱えないようチームで取り組むことにしました」。
調査の過程で「学校と家族がうまく会話できていない学年では、いじめが起こりやすいように思いました。それで家族と一緒に話す時間をつくりました」。
安田先生は、たくさんの線が引かれている文部科学省の『生徒指導提要(令和4年12月改訂)』を見せて下さった。「先生たちと一緒に勉強しました」。学校の先生たちが知識を持っていくことで、よい意味で変わっていったという。
「昔の教育は、先生が生徒に物事を教える形でした」。壁に貼ってあった学校のグランドデザインのポスターの左上には『させられる(受け身の)勉強からの脱却』と描かれ、中央には『「させる」指導から「支える」指導への転換』とある。別の紙には『エージェンシー』とあった。日本語で訳すと主体感、または自治だ。生徒主体の自治活動、これを中心に置く。また、別の紙には心理的安全と安心とある。「『心理的』と書いてあるのが大事なんです」と教えてくれた。対話的な学びというテーマでは「生徒も先生もが大事です」と話されていた。
約2時間の安田先生との会話の中で筆者が理解したのは、強い力から一方的に教えられるというのは、生徒側からすると従うか従わないかの2択になる。何が正しいかの基準を上の人が決めると、そこに着いていけるかどうかが問われてしまう。外側から『正しさ』という名がついた強い矢印が生徒に向かうと、生徒たちの間でその矢印をもっとも弱い側へ向けてしまう。
この中学校では、その権威勾配の存在を認知した上で、一人ひとりのエージェンシーを存在させようとしている。生徒も先生も対話すると、上下関係からの正しさが持ち込まれることがなくなる。すると、『未来』や『将来』という誰にとっても不確かで解答のないことへ、それぞれの知恵と力を補い合いながら、乗り越えようとしていくのだ。
2024年9月からいじめはなくなった。クラスの雰囲気は少しずつよくなり、生徒と教師の距離はとても近くなったという。翌日、生徒が自治する球技大会があった。プログラムを先生たちは知らされていない。別の地域から来た先生が「この学校は生徒と先生の距離がとても近いんです」とうれしそうに話していた。
森川すいめい(NPO法人TENOHASI理事)[子どものいじめ][エージェンシー]