医療過誤との関係でこのテーマを話題に挙げると、様々な意見を頂きます。中でも「一度でも謝るということはミスを認めることになるから、これはよろしくない」という意見は根強く人気で、「交通事故でも、その場で謝ったら不利になる」という点を挙げて説明される方もおられます。
とあるセミナーでこの質問をしたとき、ある医師の方から「謝罪とは『罪』を謝することを言いますが、我々に何の罪があるというのですか。傷害罪ですか? 業務上過失致死傷罪というものですか?」と、少し強めの反応を示されたことがありました。その医師は幾分興奮して発言されていたこともあり、セミナー会場はざわつき、ほかの参加者からも好奇の視線が注がれていました。不意をつかれて面食らった私は、「謝罪という言葉がよくなかったですかね。では陳謝ということではどうですか?」と、取り繕って回答を促して、その場を進めました。
私は、このときのことを後悔しています。
この医師は、「私たち(医師)は、何について謝罪を求められているのか、何について謝罪をすべきか」という、まさにこのテーマの核心にわけ入ってくれていたのです。にもかかわらず、私は、謝罪を陳謝と言い換えてその場をやり過ごした。つまり小手先の対応をしてしまったのです。この医師に、それこそ謝罪をしたい気持ちです。
『患者への謝罪の是非』というテーマで大切なことは、何に対してどのような気持ちを表するのかを明確にすることです。
患者さんの経過が思わしくなかった場合、その結果について、残念だという気持ちを表明することは自然なことです。主治医として元気になってもらいたいと思っていたのですから、残念ですよね。また、誰が見ても明白なミスによって健康被害がでたということであれば、そのことも含めて早期に謝罪の意を表すことも当然でしょう。他方で、予期せぬ転帰に至り、その原因(医学的機序)が不明である場合には、不明なこともすべて認めて説明(謝罪)するようなことはできないでしょう。対象となる医療行為の特定もされずに、ただ「ミスを認めろ」とせまられるようなことがあっても、もちろん対応できません。
このように、謝罪すべきところとそうでないところを正確に切りわけること、謝罪ができないとしても、主治医として残念に思う気持ちをお伝えすることはきわめて大切なことだと思うのです。
頑なに謝らないとか、逆に、何でも謝るとか、そのような思考停止の態度に至ってしまうことがあれば、それは何よりもリスクになるのではないでしょうか。
浅川敬太(梅田総合法律事務所弁護士、医師)[弁護士][医師]