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相良知安(13)[連載小説「群星光芒」268]

No.4857 (2017年05月27日発行) P.66

篠田達明

登録日: 2017-05-28

最終更新日: 2017-05-23

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  • 律儀な元部下の石黒忠悳は文部省を追われた相良知安のその後を気にかけていた。

    石黒は明治9(1876)年に陸軍軍馬監となり、その4年後には陸軍軍医監に取り立てられて軍医制度の創設に奮闘した。そして明治18(1885)年、内務省衛生部次長に昇進した。

    「ドイツ医学を導入して医療制度の骨組みを創った偉大な先駆者が巷間に埋もれているのは忍びない」

    なんとしても知安を官界に復帰させようと石黒は皇居北東の竹平町にある文部省に出かけて本省の上層部に掛け合い、文部省編纂局御用掛の席を用意させた。

    石黒の熱心な勧誘にほだされた知安は重い腰を上げて出仕することにした。明治18年7月8日、知安50歳のときである。

    しかし、そこは新政府初期の改革の機運に燃えた職場とはまったく違っていた。実のある仕事はなく、ただ書類に目を通して決裁の署名と印判を押すだけの毎日だった。

    『易経』には「我が生を観て進退す」、すなわち「我が身の生き様に順応して身を処せ」とある。

    「折角、世話してくれて申し訳ないが、とても拙者の身過ぎの場ではない」

    知安は石黒に断って退任を申し出た。

    その年の12月28日、わずか5カ月間の役所勤めで文部省を去った。

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