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ハイヒールの意義は?

No.4796 (2016年03月26日発行) P.60

平芳裕子 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授)

登録日: 2016-03-26

最終更新日: 2016-10-18

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【Q】

女性がハイヒールを履くことに医学的・文化人類学的意味はありますか。簡単に言えば,より美しく,目立つように見えるということでしょうが,定説はありますか。 (愛知県 N)

【A】

細いつま先に高い踵を特徴とするハイヒールを履くと,足先は締め付けられ,体のバランスは不安定となり,長時間歩けません。医学的見地からすれば,ハイヒールを履くことのメリットはないでしょう。ところで,ハイヒールどころか靴が足に与える害悪と変形について論じたのは,小説家であり陸軍軍医でもあった森鴎外です。日本人の衣生活が和服から洋服へと変化する時代に生きた鴎外ですが,この医学士にとってさえ,西洋の靴は日本の風土と習慣に反する履物と見えたようです。
さらに文化人類学的に言えば,ヒトは長らく裸足でいたのであり,履物は足を保護するために出現したのですらありません。様々な民族において,足は性的なイメージを喚起するものととらえられ,洗練された形へと矯正されてきました。今日,ハイヒールが好まれる理由とされる「より美しく,目立つように見える」ためというのは,この足の洗練の延長だと言えます。ここで注意して頂きたいことは,ハイヒールはそもそも女性専用のものではなかった,ということです。
ハイヒールが欧州で登場したのは16世紀末のことです。高い踵の靴は,脚を長く背を高く見せると同時に,乗馬の際に足を固定することにも役立ちました。フランス国王ルイ14世の肖像画には,白いストッキングと赤いヒールの靴を履いて脚線美を誇示する姿が描かれています。18世紀には様々な高さと太さを持つ曲線的なヒールが流行し,上流階級の男性たちはハイヒールを履いて優美さと威厳を誇示する一方で,女性たちの足は長いドレスの中に隠され,決して人目に晒されることはありませんでした。ハイヒールがもっぱら女性のものとみなされるようになったのは,近代になってからのことなのです。
社会革命の勃発により,男性が華美に飾るような旧来の貴族的価値観は虚飾として否定されます。新しく誕生した市民社会では,家族を単位とした男女の役割分担による社会構築が推進されました。男性は外の社会で働き女性は内なる家庭を守る,つまり男性はスーツを着て働きに出ますが,女性は家庭内を美しく整え,自身も美しく着飾ることが求められるようになります。ここでハイヒールは,ほかの装飾品と同様に,女性たちの洗練されたスタイルや流行のファッションを完成させるための重要なアイテムの1つとなったのです。
しかし,先に見たように,歴史を振り返るならば,ハイヒールは女性のためだけに存在していたのではありませんし,ハイヒールだけが足に危害を与えると考えられていたわけでもありません。現代社会における男女の役割分担は変化しつつあるとはいえ,西洋文化を受容した日本において,西洋近代に確立したファッションスタイルと美の規範は,いまだに望ましいものとして社会的に認識されています。だからこそ,おしゃれに敏感な女性たちは「女性美の象徴」となったハイヒールを,今もなお履き続けていると言えるでしょう。

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