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砲兵の配属地

No.4708 (2014年07月19日発行) P.68

熊谷 直 (軍事研究家)

登録日: 2014-07-19

最終更新日: 2016-10-18

【Q】

祖父が1944(昭和19)年頃に陸軍砲兵第5連隊第1中隊に配属されたと聞いたが,どこで活動していた連隊か。 (兵庫県 K)

【A】

旧日本軍での砲兵は,「重砲兵」,「野砲兵」,「山砲兵」,「その他の砲兵」と種類が多くあり,この順番に砲身の口径が小さくなる。つまりご質問の「砲兵第5連隊に配属」だけでは,当該者が配属されたのがどの種類の砲兵連隊なのかわからない。
第二次世界大戦中は軍の秘密保持のため,「森6771」のように各部隊名を指揮官の姓で示しているので,当該者からの手紙でも残っていればそれが配属の手掛かりになる。また当該者の入隊地がどこか,当時の本籍はどこであったか,戦後復員したのが南方からか中国からかなどによっても絞り込める。
これらによってある程度絞り込めたら,厚生労働省(東京都千代田区霞が関1-2-2,Tel 03-5253-1111)の社会・援護局援護企画課に問い合わせれば,当該者の本籍地の県庁の同じような担当課(名称などは異なる場合がある)に,個人の詳しい名簿が残っているかどうかまでを教えてくれる場合がある。
ここではわかる範囲で,質問者の祖父が所属しておられた可能性がある砲兵関係の第5連隊の概略履歴を述べて回答としたい。
「重砲兵第5連隊」は,1940(昭和15)年に和歌山県で新しく編成された15センチカノン砲2個中隊の本土決戦部隊であり,そこで終戦を迎えている。
「野戦重砲兵第5連隊」であれば,大正年間に下関で編成されていて,15センチ榴弾砲6個中隊(3個大隊に区分)の部隊であってインパール作戦後のビルマの対戦車戦で活躍している。終戦は現地で迎えている。
「独立野戦砲兵第5連隊」という本土決戦のために広島で編成された部隊もあるが,本質問には該当しない可能性が強い。

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