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佐藤泰然(12)[連載小説「群星光芒」234]

No.4822 (2016年09月24日発行) P.66

篠田達明 (作家・医師)

登録日: 2016-09-23

最終更新日: 2016-10-06

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  • 水野忠邦は天保14(1843)年に老中首座を罷免されたが、翌弘化元(1844)年6月、諸外国との交渉に難渋した公儀によって再び老中に起用された。しかし体調を崩して気力が萎え、在職8カ月で辞職した。 その後長らく癪気(さしこみ)に悩まされ、痩せ衰えて嘉永4(1851)年2月10日、58歳で病没した。その話を聞いた佐藤泰然は、もはや忠邦侯の報復を恐れることはない、と胸をなでおろした。
    忠邦が没した年の12月25日、泰然は本邦最初の膀胱穿刺術を敢行した。その夜、下総国下埴生郡(千葉県印旛郡)の農夫平兵衛が順天堂医院に駆け込んできた。平兵衛は当番医で入門1年目の関 寛斎に、「お父が小便詰まりをおこして苦しんでます」と訴えた。
    父親は前夜、印旛沼に漁に出て急に排尿困難に陥った。急いで家に帰り村医に護謨加爹的児を挿入してもらったが尿は1滴も出ない。挿入を4回繰り返したがだめだった。その後はまれにポタポタと滴るのみ。夜になると只ならぬ痛みに、食事はおろか眠ることさえできない。
    泰然は寛斎に治療器具を持たせて患家に急行した。患者は62歳、膀胱は膨脹して緊満が著しい。周囲を取り巻く家族と親類が見守る中、泰然は撓屈消息子を取り出して尿道に挿入した。「痛てェ、痛てェ」と顔筋を皺めて大声をあげる患者に、「我慢、がまん」と寛斎が手を摑んで声をかける。 だが排尿はみられず、消息子の先端にわずかな血液が付着するだけだった。

    「この上は膀胱穿刺をするしかない」

    残り1,761文字あります

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