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シーボルト(15)[連載小説「群星光芒」138]

No.4719 (2014年10月04日発行) P.70

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-03-23

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  • 鳴滝塾で修業中、通詞の吉雄権之助が蘭館医のヘルマヌス・レッケから伝授された発疱打膿法なる麻痺筋回復法を話していた。

    「麻痺肢の皮膚にカンタリス(芫青)や唐ガラシを貼り付けて水疱発疹や化膿をおこすのです。すると麻痺の神経毒は発泡部位に誘導されて体外へ排出されます。これにより麻痺不随の筋は運動の機転を与えられ諸管の閉塞が開通する妙法です」

    二宮敬作はこれを思い出して何度も試みたのだが、患肢はびくともしなかった。

    シーボルトの日本入国が許可されると、敬作の長崎御構(追放令)も解けた。

    「シーボルト先生の再訪は来年になる。それまで長崎に滞在して先生の到着を待とう」

    敬作は不自由な身をイネと甥の弁次郎に助けられながら長崎までやってきた。諏訪町に家を借りた敬作はイネと弁次郎を診療助手にして西洋産科の看板をかかげた。このとき弁次郎は蘭方医のごとく三瀬周三と名を改め脇差を帯びた。

    銅座町ではタキが20年間連れ添った夫の俵屋時次郎と死別して侘しく暮らしていた。そこへシーボルトから「明年、長崎を訪れる」との手紙が舞い込み、タキの心は波立った。17歳で蘭館へ連れやられ、精の強いシーボルトに毎晩のように愛撫された。だが館内に飛び交うオランダ語はまったく判らず、常に何かに怯えながらの5年間だった。イネの成長だけが生き甲斐だった。

    ―シーボルト様にはぜひともお会いしたか。ばってん、こげな皺寄りの身をさらしたくなか…。

    タキの気持は思慕と困惑の間を揺れ動き、落ち着かぬ日々を過ごした。

    残り1,710文字あります

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