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宇田川玄真(13)[連載小説「群星光芒」123]

No.4699 (2014年05月17日発行) P.70

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-04-05

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  • 22日(第9病日)の朝、信道は甘草、大黄、茴香(ういきょう)を投与。午前中、病人は激しい咳に襲われ、血性粘液を数碗吐いた。苦悶の状が容易ならぬので玄朴、静海、信道は昼過ぎまで滞在して診療に当たった。午後も咳は止まらず、憔悴して顔面は土気色を呈した。信道は気付けに興奮薬の法弗忙液(エーテル精)を7滴投与した。急を聞いて榕庵の実父江澤養樹をはじめ多くの門人が詰めかけた。かれらは一晩まんじりともせず容態を見守った。夜半、信道と静海はヒル10匹に血を吸わせた。

    23日(第10病日)の午前中になると病状はやや落ち着き、夫人が調理したあんかけ豆腐とみそ汁で煮た蕪を少し食べた。病人は「風味よし」という。米飯も一口食べた。その後、呻吟もなく安眠したので養樹や門人たちもひとまず帰宅した。夕暮れ、うどん豆腐を1片口にした。榕庵が浣腸を1管半施して常より多い臭便があった。夜五ツ(午後8時)玄朴が来訪、入れ替わって静海が帰宅、信道は止宿する。病人は夜半、一時、黄色痰を吐いた。

    24日(第11病日)の丑三ツ時、胸の煩悶著しく胸板を掻きむしる。「苦咳をこらえたためじゃ」と病人はいうが榕庵には痛ましい限りだった。朝、白玉と麦雑炊を軽く1杯、それに味噌汁を吸呑みで飲む。そのあと羊羹を少し食べて茶を啜った。午前中に便意があり、臭便一行あり。このところ夫人と榕庵は昼夜の看病と見舞い客の応対で疲労困憊していたが気力でもちこたえた。昼すぎ、胸痛と下腹部の痙攣痛があるも七ツ(午後4時)にはなんとか落ち着き、汁粉を少量摂取した。夜は信道が止宿する。

    25日(第12病日)、昨夜は一晩中咳が激しく、暁より呼気に臭気が混じった。信道が洎夫藍を投与すると咳はいくぶん間遠になった。朝、白味噌汁を吸呑みに1杯、蕎麦をわずかに口にした。昼前、玄朴が来診。昼にほうれん草を1皿食す。信道が止宿し、瀉下剤の大黄を使用して暁までに大便が少しずつ3度あった。排便に粘りと悪臭があり、信道は「回虫の疑いもあります」といって虫下しのセメンシーノを投与した。この夜は短いながら安眠がみられた。

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