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緒方洪庵(8)[連載小説「群星光芒」216]

No.4804 (2016年05月21日発行) P.68

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-01-24

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  • 愛着のある大坂の町を離れるのは後ろ髪を引かれる思いだった。しかし公儀の厳命もあり、もはやあとにはひけない。

    文久2(1862)年、53歳の緒方洪庵は老骨に鞭打って江戸へ下向する肚を固めた。

    その晩、妻の八重を呼んで告げた。

    「わしは病弱の身だが、国のため、世のため、決死の覚悟で江戸へ往くことにした」

    八重は黙ってうなずいた。

    「今後のことだが、長崎で修業中の平三はまだ若すぎるので門人の吉雄卓弥に適塾をまかせようと思う。ついては吉雄を八千代の婿にするつもりだ。吉雄にはわしから頼むが、八千代はお前から説得してくれ」

    ついでポンペの許で修業中の平三に手紙をしたためた。

    「お前にはごく内々に伝えておく。先年より江戸表の大目付方より、奥医師に推挙いたす旨、しばしば申し入れがあった。しかし多病の身で御奉公など勤まりかねるとその都度断ってきたが、どうにも辞退できなくなったのでやむなく承諾いたした。

    ご先祖と子孫のためを思えば冥加至極であろうが、病弱の体質に老後の勤めとあって先の苦労は目にみえている。17の歳から35年間住み馴れた大坂の町を離れねばならず、また倹しく暮らしてきたわが家の手許は甚だ不如意であり、お召し出しは世にいう有難迷惑そのものである。しかしながら、道のため、国のため、討死覚悟で罷り出るつもり也、と八重には伝えたところである」

    文久2年4月初め、洪庵は郷里の備中国足守藩(岡山市北区足守)に往き、兄の足守藩士佐伯惟正と母のキャウに江戸へ出府する旨を伝えた。

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