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緒方洪庵(3)[連載小説「群星光芒」212]

No.4799 (2016年04月16日発行) P.66

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-01-26

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  • 塾生たちは『適々斎塾』のことを約めて『適塾』と呼んだ。

    緒方洪庵は塾生の修業年限を2年間としたが、優秀な塾生はその後、塾頭、塾監として後輩の指導に当たらせた。

    近年、度重なる外国船の往来で人心が動揺していた。そのような世情から『適塾』では医学のみならず、自然科学や軍事科学など蘭学全般にわたって学ぶことを基本とした。

    洪庵の教育法は「会読」と称する独特の方式だった。塾生を初級から最上級まで十組前後に分け、会読の日は各組ごとにあらかじめ決めた蘭語本の解釈をさせる。これを上級の塾生(会頭)が聴いて成績をつけ、首席を続けると上の組に進級させる。成績の良い順に大部屋の窓際に寝起きの場所を与えたので、会読の前はだれもが準備におおわらわだった。

    『適塾』には辞書の『ズーフ・ハルマ』(7分冊)が一揃いしかなく、会読直前ともなれば辞書の奪い合いになった。塾生の福沢諭吉などは昼夜分かたず机の前に座り、眠くなれば机上で仮眠するほど頑張った。

    会読が終わってほっとすると塾生たちは大部屋の柱めがけて「エイ、ヤッ、トォ!」と刀を振りまわし、2階の物干し台から近くの遊郭にむかって「わてらもそこへ招いてくだされェ」と大声でどなった。

    夕暮れともなれば大勢で盛り場へくり出す。豚の頭をチョン切り、天秤に吊るして往来を練り歩き、道頓堀川に浮かぶ空舟に乗り込んで七輪を燃やしながら生魚を焼いた。煙がもうもうと立ちのぼり、橋上の通行人が「臭うてかなわん」と野次ると、「アンモニアをつくる実験だァ」と言い返した。

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