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ノスタルジアはほどほどに[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(199)]

No.4906 (2018年05月05日発行) P.63

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2018-05-02

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病理学の講義では、医学英単語の接頭辞や接尾辞の説明をよくする。理解していたら、ボキャブラリーが飛躍的に増えるからである。数ある中、いちばん好きなのは-algiaだ。アルジア、なんとなく響きがよろしい。多くの接辞と同じくギリシャ語の由来で、語源のálgosは痛みを表す。

神経、筋肉、関節の痛みは、それぞれ、neuralgia、myalgia、arthralgiaである。加えて、nostalgiaも説明する。Googleでこれらの言葉を検索してみると、順に、728万、224万、187万、1890万ヒットだから、予想通りnostalgiaの圧勝だ。

その接頭辞nóstosもギリシャ語で「故郷を思う」の意味。故郷を離れて闘うスイス傭兵に生じる精神・神経障害を表すために、17世紀に作られた。ご存じのとおり、今や病名ではなく、望郷、あるいはより幅広く懐旧を意味するようになっている。

いまどきにしては珍しく、生まれた場所に住み続けているので、望郷の念とは縁がない。しかし、懐かしい場所というのはいくつもある。たとえば、通っていた学校がそうだ。残念ながら、何十年も前の学舎はほとんど残っていない。

昔馴染みだった酒場もほぼなくなってしまったのだが、ひとつだけ残っている。いや、残っているはずだった。

バー「N」のマスター、独立する前からなので、知り合ったのは20年以上も前のことだ。十数年前に独立し、以後ずいぶんと足繁く通った。ところが数年前、急に閉店になり、風の噂に亡くなられたと聞いた。そして、お店は居抜きで買い取られたということだった。

ノスタルジアだ。懐かしい空間を再訪したいと思いつつ何年もたった。行きたいという気持ちと、Nさんの立っていた場所に他の人が立っているのを見たくない気持ち。ずっと後者が勝っていた。

1人で初めてのバーに入るだけでも勇気がいる。少し迷ったけれど、先日、エイヤッと入ってみた。内装はなんとも中途半端に変えられ、店の雰囲気は全く変わっていた。しかたのないこととはいえ、とても哀しかった。バーテンさんと話もせず、あおるようにスコッチを2杯飲んで外に出た。

nostalgiaは、ぼんやりと抱いているのがいい。確かめてみたら、他の-algiaと同じで、単に痛いだけでしたわ。

なかののつぶやき
「よほど不可能な案件以外、頼まれたらほぼ引き受けることにしています。そしたら、なんとこの1週間に対談が3件も重なって、まるで売れっ子やないの。うちひとつは、元『アル中』患者、名コラムニストの小田嶋隆さんとのトークショーイベント。むっちゃ楽しかったので、その内容はいずれ報告いたします」

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