アレッサンドロ・マンゾーニ(1785~1873)が1827年に発表した『いいなづけ』(平川祐弘訳、河出書房新社)はイタリアを代表する歴史小説とされているが、その31章と32章には1629年から1630年にかけてミラノを襲ったペストの様相が描かれている。
ペストはドイツ軍の侵攻とともにミラノに侵入してきた。疫病の流行がしばしば軍隊によってもたらされることは、古代ギリシアにおける疫病を描いたトゥキュディデスの『戦史』でも明らかだが、ドイツ軍が通過した地方一帯の街道に死体が転がっているのが見つかったのである。「一家ごと病気になる家も出た。死者も出た。それは激烈な、正体不明の病気で、たいていの人が見たことも聞いたこともない徴候を呈した」。
もっとも、50年前のペストを思い出すことができた年輩の人には、目新しい病気ではなかった。特にセッターラ博士は50年前にペストを目撃しただけでなく、「当時若輩であったとはいえ、もっとも有効な救護活動を行なった医師の1人」だった。その博士が今回もペストの発生を危惧して情報を集め、ベルガモ領に隣接する村でペストが発生したと報告したのである。
しかし、衛生局は特別な措置をとらなかった。役人を1人派遣して「この悪病はある地域では沼沢から毎年秋に発生するところの例の瘴気のせいであり、また別の地域ではドイツ軍の通過に伴う重労働や苦役のせいである」との報告を受けて安心してしまったのである。
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