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南スーダンの今と縄文の昔[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.103

岩川眞由美 (国境なき医師団日本・小児科医)

登録日: 2018-01-07

最終更新日: 2017-12-20

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南スーダンから帰国し、日焼けと垢で真っ黒だった私が、焦げ茶色に改善してきた頃、千葉大学時代の友人と毎年恒例の超高速国内旅行(友人達は院長先生なので週末利用)で青森に行きました。

今回の「国境なき医師団(MSF)」南スーダン活動地は、ナイル川流域で、蛇やハエやサソリや寄生虫や蚊がいっぱい、それに加えて民族間紛争の最中でした。一方、青森は、懐かしい中学校修学旅行の、とはいっても十勝沖地震で目の前で地割れを経験した、自然への畏敬を教えてもらった想い出の地です。さすが日本、清潔な新幹線は1分の遅れもなく新青森に到着。まずは三内丸山遺跡へ!そこは約5500年前から1000年以上にわたり縄文文化が成熟した広大な集落地跡です。子ども達のお墓、物見台のような大型立柱建物、貯蔵穴など、共同体としての協力やお互いの深い愛情がいっぱいでした。可愛い土偶、編み物の袋、漆器や、新潟や長野から運ばれたヒスイや黒曜石の装身具もあり、船を操り川から湾へ出て漁をし、栗やゴボウや豆を栽培していたそうです。縄文の昔、日常を大切にし自然を敬い、楽しく笑う人々の姿が目に浮かび、男達が漁・猟から無事戻ったことを祝う歌声が聞こえてくるようでした。

それは正しく、私が南スーダンで感じた素敵な人の一生でした。大きな太陽の下、笑顔が弾けるアフリカの子ども達は、小さくても自分の弟妹を大切にし、手伝えることは何でもします。愛情豊かな大人達は老人を尊敬し、一夫多妻の妻同士もみんなで家族の面倒を見ます。歌もダンスも超一流の男達は、身体を張って川に飛び込み漁をし、痩せた牛を追っていました。南スーダンの人々は「死」に涙しながらも、穏やかに受け入れていました。今、民族間紛争は小さな村にも「やられたからやり返す」と広がり、死を恐れない少年達を巻き込んでいます。手術をしながら悲しくて辛い気持ちでした。

私は澄み切った青空の青森で、苦しかった南スーダンでの医療活動を思い出しながら、大好きな縄文の土偶に「どうぞ私にもっと勇気をください」と願いました。

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