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共感が得られる日常診療 [エッセイ]

No.4767 (2015年09月05日発行) P.74

塚本玲三 (茅ケ崎徳洲会病院)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-13

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  • 前回、第4751号(2015年5月16日発行)の本欄に「臨床医学における共感の重要性」を掲載しました。「そんなことはわかっとる。実際にどうしたらええんや?」と言われる方も少なくないと思われますので、筆者自身の試みを紹介します。



    筆者はちょうど50年前に医学部を卒業し、良い臨床医をめざして、当時としては珍しいことでしたが、どこの大学の医局にも属さず、聖路加国際病院で臨床研修を受けました。聖路加国際病院には日本の代表的臨床医として著名な日野原重明先生がおられ、bedside teachingに情熱を傾けておられました。当時の日野原先生は、サイエンスとしての臨床医学研究に目覚ましい活躍をしておられ、私たち研修医は臨床医学の奥深さを徹底的に教わりました。

    筆者が4年間の米国留学から帰国したときに、ジョンズ・ホプキンス大学内科のフィリップ・タマルティ教授著『よき臨床医をめざして(原著名The Effective Clinician)』(医学書院、1987年)の翻訳を日野原先生から勧められました。本書は医学のサイエンスとアートの両方を見事に実践した米国臨床医学の祖と呼ばれるウイリアム・オスラー先生の、臨床医としての真髄を継承した素晴らしい内容です。本書の翻訳をきっかけに、筆者はできる限り患者中心の全人的医療を実践するように心がけてきました。

    米国でのインターン、レジデント研修では、救急および急性期医療を中心に、徹底的に病気のキュアをめざすサイエンスとしての医学の勉強を強いられました。残念ながら、ケアの心についての教育はなかったと思います。45年後の今でも、末期がんの告知以後、我々の声かけに一言も発することなく食事も摂らない孤独な中年黒人男性患者の顔や、椅子にかけているのがとても辛いのに、褥瘡や筋力低下予防のため毎朝むりやりに起こされ椅子に座らされて、病棟中に響きわたる金切り声を上げるお婆さんの、悲しそうな顔を覚えています。

    その頃、カルテの記載方法をもっと科学的にすることをめざして、米国バーモント大学のローレンス・ウィード博士がPOMR(problem oriented medical record)方式を提唱していました。当時の米国臨床医学は、大体どこでも極端にサイエンスに偏った殺伐としたものであり、気の弱い筆者には耐えがたいものでした。

    2年間の初期研修を終えて、デンバーの呼吸器専門研究病院であるナショナル・ジューイッシュ・ヘルス病院で2年間のフェロー専門研修を受けました。この病院は当時から見事に患者中心の医療を行っており、大変感激させられました。この病院は、最近10年以上にわたって、呼吸器部門で全米ベストワンの病院として高い評価(US News)を受けています。筆者が在籍していた当時でも多数の臨床心理療法士がいて、個々の入院患者の社会的・生活習慣的行動が病気の発症や治癒過程にどのように関与しているかを調査・分析し、それに基づいて行動療法を行っていました。医師の回診も患者と同じ目線に立って行われ、非常に共感的で感動しました。

    その後、EBM(evidence-based medicine)やクリティカルパス(critical path)などの新しい手法が臨床に取り入れられるようになりましたが、いずれも臨床医学をより客観的、科学的、効果的に発展させるための手法であり、医療における患者の人間性への配慮、すなわちケアがますます失われていくように思われます。

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