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アワビの死 [エッセイ]

No.4765 (2015年08月22日発行) P.66

内藤裕史 (筑波大学名誉教授)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-14

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  • M子が死んだ。彼女は、私が2年半の米国の留学から帰ったばかりの1968年頃、米国の医学教育のことについて聞きたいと、ほかの学生と私の部屋を訪ねてきたことがあった。そのときの、生き生きと、目がきらきらした利発そうな印象を鮮明に思い出す。 

    1970年、M子は卒業すると、私が助教授をしていた札幌医大の麻酔学教室に、同級生7人と一緒に入局した。女性はM子だけだった。彼らは1つの部屋に机を並べ、同志的結合のように仲が良く、お互いに切磋琢磨し、1日中手術場で臨床に従事、深夜まで部屋の電気が消えることはなかった。私も、マスクの持ち方から点滴の仕方、血圧の測り方にはじまって文献の読み方まで、寝食を忘れて指導した。M子は教室のカンファランスでも、とことん勉強してその成果を発表し、また発表者がたじたじとなるような質問をした。

    時には、教室員みんなで小樽の西、日本海に突き出た積丹半島の先端にある漁村に海水浴にも行った。泳いでいるのは我々だけで、海底の岩まで見えるくらい海が澄んでいた。岸には「海は漁師の畑です。アワビは獲らないで下さい」と木の札が立っていたが、潜れる連中の中には獲って泳ぎながら食べている者もいたようだった。



    ある日、M子とKが一緒に私の部屋にきて、「僕たち結婚することにしました」と言った。Kは麻酔学教室に一緒に入局した同級生7人のうちの1人である。私は、彼らと身近に接していたが、結婚するような雰囲気にまったく気づかなかったから、びっくりした。ほかの5人の同級生も一様にびっくりしたが、みんなに祝福されて結婚した。

    おしどり夫婦で、地方の病院に赴任するときもいつも一緒で、赴任先の病院では麻酔科医が一挙に2人になるといって喜ばれた。彼らは、手術の麻酔だけでなく、救急でも術後管理でもペインクリニックでも、2人揃って真面目で勉強好きで骨身を惜しまず仕事をするので、ある病院長には「内科医を雇うより麻酔科医を雇ったほうがよっぽど病院のためになる」と言われ、彼らは昭和40年代の北海道内における麻酔科の評価向上に大きく貢献した。

    Kは冴えた頭脳の持ち主で、「筋の通らないことはきらいだ」というような生き方と姿勢はM子と似ていたから、彼女はKと一緒に暮らして安心感があったのではないかと想像する。

    1976年、私は筑波大に赴任し、2人とは地理的に離れて遠くなった。しかし、気に掛けていることだけは、いくら遠くなっても、お互いにわかっていた。

    彼らが地方の病院に勤務していたとき、筑波大の学生実習を引き受けてくれたこともあった。よく面倒を見てくれるので学生に人気があったし、私も安心して学生を推薦できた。

    少し残念だったのは、病院を2人揃って留守にするわけにいかず、学会で夫婦一緒に会えることがなかったことだった。

    私が札幌に行くと、近郊にいる彼らは札幌に会いに来てくれたが、そのときはM子が出て来ることが多かった。Kは何かとM子を表に立てていた。年賀状の連名の差出人もM子のほうが先だった。

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