◉ジギタリスは,頻脈性心房細動合併心不全管理の一助となりうる。
◉血中濃度の定期的な測定は重要である(できない場合は,極低用量以外での使用はやめたほうがいい)。
◉今後の臨床研究の結果次第では,脚光を浴びる可能性もある。
ジギタリス(ジゴキシン)は,かつて心不全治療や心房細動のレートコントロール手段として広く用いられてきた薬剤である。20世紀中盤までは,利尿薬と並び心不全治療の中心的な地位を占め,多くの臨床医が“とりあえず処方する薬”として重宝してきた。一方で,1990年代以降にアンジオテンシン変換酵素(angiotensin converting enzyme:ACE)阻害薬,アンジオテンシンII受容体拮抗薬(angiotensin II receptor blocker:ARB),β遮断薬,さらにはミネラルコルチコイド受容体拮抗薬 (mineralocorticoid receptor antagonist :MRA)などが相次いで登場し,それらが総死亡率低下のエビデンスを示す中で,ジギタリスは必ずしも第一選択とは見なされなくなっていった。加えて,血中濃度管理が難しく,中毒症状を引き起こすリスクもあることから,一時期は使用頻度が大きく後退した経緯がある。しかし,2010年代後半から2020年代にかけて,ジギタリスへの再評価の動きが国内外で起きつつある。たとえばRATE-AF試験では,高齢の心房細動合併心不全患者においてβ遮断薬と同等のQOL改善効果を示し,さらに最新のDECISION試験では,心不全患者に対する低用量ジゴキシンの有用性をより大規模に検証している。
本稿では,ジギタリスの歴史を振り返り,新旧のエビデンスを整理し,ジギタリスの歴史や薬理学的特徴,毒性リスクとその管理,さらには今後の展望を包括的に論じることで,ジギタリス再興の可能性を探ってみたい。
ジギタリスを語る上で歴史は重要であると思われる。ジギタリスを含む植物は,古代ギリシャやローマの時代には既に知られていたとされている。当時は明確な薬効が科学的に立証されていたわけではないが,植物性の毒薬・薬草として扱われ,浮腫の改善や下剤的な効果を期待して用いられることがあったという記録が残っている。しかし,臨床データが不足し,用量や効果についての体系立った知識がないため,副作用や中毒事故が起こりやすかったと推察される。ヨーロッパの民間療法においては,葉や花を乾燥させて煎じたり,外用薬として利用したりする例もあったようだが,その効果は一貫しておらず,むしろ危険な薬草というイメージが強かったと言われている。
中世ヨーロッパにおいても,修道院や各地方の治療師が民間薬としてfoxgloveを用いることがあったが,特に用途が限定されていたわけではなく,「毒にも薬にもなる植物」というあいまいな扱いが続いたようだ。中世後期になると,一部の文献において浮腫(当時はdropsyと呼ばれた)や心不全様の症状を改善するといった観察が残されるものの,科学的根拠は乏しく,むしろ乱用による中毒事例のほうが目立ったと考えられている。
ジギタリスが本格的に医学の歴史に刻まれる大きな契機となったのは,18世紀末のイギリスでの出来事であった。特に注目されるのが,内科医のウィリアム・ウィザリング(William Withering, 1741〜1799)の業績である。彼は,民間療法として使用されていたfoxgloveの煎じ薬が浮腫の患者に有効であるという噂を聞き,それを体系立てて調査することに成功した。ウィザリングは,自身の臨床経験をもとに160名以上の患者に対する投与結果をまとめ,1785年に『An Account of the Foxglove and Some of its Medical Uses』という著作を発表する。この著作では,foxgloveの効果だけでなく,副作用としての嘔吐や視覚異常(黄視,緑視),徐脈・不整脈などが詳細に記載され,用量選択の重要性が初めて強調された。ウィザリングが行った試みは,当時としては画期的な「科学的観察とデータの蓄積」に基づく医療実践であった。彼の報告によって,ジギタリスが浮腫や心不全の改善に寄与しうる植物性薬剤としてヨーロッパ全土に広まり,従来の“危険な薬草”というイメージから一歩抜け出すことになった。ウィザリングの報告をきっかけに,19世紀にはジギタリス(とりわけジゴキシンやジギトキシンなど)を抽出した製剤が徐々に臨床医の手元に届きはじめた。
当時は浮腫や心不全の原因が明確に解明されていなかったものの,ジギタリス製剤を使うと心拍が力強くなり,利尿効果も得られるという点が評価され,ヨーロッパや米国で広く処方されるようになった。しかし,効果発現がある程度遅く,用量依存的に中毒症状を呈すること,そして個人差が大きいことなどがしばしば問題となり,現代でも同じ問題に直面することがたびたびある。19世紀後半には薬学・化学の進歩により,ジギタリスの中核成分の単離や精製が進むが,まだ厳密な血中濃度モニタリングの概念は存在せず,医師は患者の症状を手がかりにしながら「毒性ぎりぎり」まで投与する手法を取ることもしばしばあったと伝えられている。実際,ジギタリス中毒による致命的な不整脈や視覚異常は,当時の医師にとっては常につきまとう懸念だったようだ。それでも強心薬としては数少ない効果的な手段だったため,多くの医師が「使い方さえ間違えなければ有効」という,半ば職人的なスキルを駆使しながら処方していたのである。
20世紀に入ると,欧米において心臓病学や薬理学が急速に発展し,ジギタリスがもたらす「Na+/K+-ATPase阻害による陽性変力作用」という機序がしだいに解明された。心不全の病態が徐々に理解されるに従い,利尿薬と併用する形で患者の浮腫や呼吸困難を和らげる目的でジギタリスがルーチンに使われるようになる。特にジゴキシンは経口投与できる点や,ある程度血中濃度半減期が把握しやすい点などから,1930~1950年代には「心不全治療の中心的存在」として世界的に広まった。一方で,致死的不整脈や徐脈性不整脈といった毒性リスクは常に問題視され,当時の医師は「中毒になりかけた徴候を見きわめる」のが1つの熟練技と見なされると言われていた。具体的には,嘔吐や食欲不振,視覚異常が出たあたりで用量を調整する,といった経験則的な手法が用いられた。
この時代の文献を読むと,「ジギタリス中毒との戦い」がいかに臨床の現場で大きなテーマであったかがうかがえる。1960~1970年代にかけて,ループ利尿薬やサイアザイド系利尿薬,そしてACE阻害薬などが心不全治療に導入されると,ジギタリスの位置づけはやや補助的なものに変わっていく。さらに不整脈治療の分野でも,β遮断薬やCa拮抗薬といった選択肢が増えたことで,心房細動のレートコントロールにおいてもジギタリスが第一選択とは限らなくなった。
そうした流れの中,1990年代後半に大規模ランダム化比較試験(RCT)として有名なDIG試験1)が発表された。この試験では,ジゴキシンを用いた群とプラセボ群を比較し,「総死亡率の差はないが,心不全による入院率を有意に低下させる」という結果が示された。同時に,サブ解析ではジゴキシン血中濃度が高いほど,むしろ予後が悪化する可能性があるということも示唆され,ジギタリスに対する再評価と同時に「低用量&血中濃度管理」の重要性が広く認識されるようになった。DIG試験の結論を受けて,ジギタリスは「死亡率を下げるわけではないが,入院率を減らす効果がある」薬剤として位置づけられ,多くの国際ガイドラインで補助的な役割を与えられるようになった。しかし,同時期にβ遮断薬やARB,MRAなどの新薬が次々と登場し,死亡率改善を実証していく中で,ジギタリスの使用頻度は大きく後退していった。さらに腎機能や電解質異常への細心の注意が求められる点や,血中濃度モニタリングが煩雑である点が敬遠され,多くの臨床現場で“使いにくい古い薬”という扱いになっていった。しかし2010年代後半からは,RATE-AF試験やDECISION試験などの新たな大規模研究が行われ,低用量ジゴキシンの安全性・有用性が改めて注目されはじめている。高齢者や複数の合併症を持つ患者でβ遮断薬が使いにくい場合に,低用量ジゴキシンがQOL改善や入院率低下に寄与しうる可能性が示唆され,歴史的に“中毒リスクと隣り合わせ”と見なされてきたイメージが少しずつ変わりつつある。
こうして振り返ると,ジギタリスの歴史は「危険な薬」から「救命薬」,「古い薬」から「再評価すべき薬」へと揺れ動いてきた軌跡と言える。
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