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視えないものが、視えるという特殊性[炉辺閑話]

No.5045 (2021年01月02日発行) P.88

森永康平 (獨協医科大学総合診療科 )

登録日: 2021-01-04

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ホラー小説「拝み屋郷内 花嫁の家」を紹介しましょう。フィクションと思って侮るなかれ。我々医療者も参考になるのでは? と思う珠玉のエッセンスが多々登場します(※個人の見解です)。

霊やこの世ならざるものの視える“拝み屋”ですが、作中にはその仕事に対するポリシーとしてこんな風に語られます。「本職が客に対して発する『何々が見えますよ』という発言は本人が考えているよりもはるかに影響力が大きい。それは時として、一般人にとって凄まじい恐怖や暗示を植え付けることがある」。どうですか? どきっとしませんでしたか? 特殊な修行期間と長い経験や知識等で可視化されていない病や異常を察知し、対処するのが医療者には日常と化してはいますが、極端な話、患者さんにとっては霊能者と変わらない、“自分たちにはみえないものが視えている”ところ、実にそっくりではありませんか。

“視えないものを伝える”というのは“誰がやっても同じ”ではなく、そのストーリーテラーの価値観や視点などその人の“人間性”をありあり示す行為なのだと思います。同じ“事実”がみえていても、その人をいたずらに怖がらせて自分の思惑に利用してしまうのか、映画「ライフ・イズ・ビューティフル」のお父さんのように、優しい嘘をつきながらも明日へと導いていくのか、“美意識”次第ということになりましょう。“美意識”ってどうしたら磨いていけるんでしょうか。

昨今、私達が見聞きするものは、最初から誰かの意見や解釈、感想がついて回り、無垢なものに対峙することはどんどん減っています。知識こそそれで蓄えられても、その根本にある美意識はきっと、自分での五感で感じ、考えることを繰り返すことでしか磨けないと思うんです。「この先生の診療は粋だな」「この前の判断はいけてなかったな」などなど、まずは自分に生じた感覚を信じ、向き合いながら進んでいく、そしてそんな歩み方を互いにも尊重し合うのはどうでしょうか。幾年かしたら、きっと愛着のついた、味のある良い“モノサシ”が自分の中にできているはずです。

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