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選択性緘黙症を持つMさんとの診療40年[炉辺閑話]

No.5045 (2021年01月02日発行) P.73

鈴木好夫 (内科すずきクリニック院長)

登録日: 2021-01-03

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40年前、私は病院腎センターの内科医で、なんでも治せると思っていた。11歳の女の子Mちゃんが大人の中に1人入院してきた。腎臓病の治療は順調だったが、Mちゃんには選択性緘黙症という病態があった。ドクター、ナースとまったく話さない。ただ皆でかわいがった。妹さんがきたときに個室病室のインターフォンから声を一瞬ひろい、姉妹が会話しているのを聞いた。

退院後の通院では「元気?」と私、Mちゃんは点頭する。それを30年間は続けた。緘黙症にインフォームドコンセントはどうとるのが正しいのか、と思ったが深く考えなかった。腎臓病のコントロールはできていた。緘黙症の医学を医学書で読み、緊張したがいつも放念した。

最近の私のクリニックです。私とは会話するようになっている。

私「聞きたいことがあるんだけど」
Mさん「こわいこと?」
私「初めの頃、誰とも口をきかなかったじゃない。あれは何?」
Mさん「小学校1、2年の頃、受け持ちの先生が私のことを悪く、悪く親に言って、その頃の親は先生の言うことを聞くでしょ、それで人と話せなくなったの。お母さんとは話していたよ。名前は忘れたけど病院の心理療法士とはよくいっていたけれどお嫁に行って、次の人とはだめで、またしゃべらなくなった。鈴木先生はいいと思っていたよ」。
私「ふーん」。
「聞きたいことがあるんだけど」を、私は聞こうか聞くまいかの葛藤を越え問うまでに40年かかった。Mさんは瞬時にほとばしるようにしゃべった。訊ねられたらこう答えようとしていたのではないと思う。鈴木先生とは私のことです。私の江戸っ子の気風を感じてくれたか。

現在のMさんは体調良好、静か。自分の腎臓病は鋭く尋ねる。
私は当たり前だが大した医者ではない。トルドー先生のconsoler toujoursには到らないが、with Mさんとの40年であり、これからも続く。

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