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これが私の生きる道~ ミャンマーの無医村で医療と有機栽培菜園事業を通じて感じること~[炉辺閑話]

No.5045 (2021年01月02日発行) P.68

名知仁子 (ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園(MFCG)代表理事)

登録日: 2021-01-03

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「使命」と書いて「命を使う」。「生活」と書いて「生を活かす」。

食べ物がない、医療に手が届かない人々がいることをご存じでしょうか? NPOミャンマー ファミリー・クリニックと菜園(MFCG)はミャンマーの無医村を巡回診療しながら自給自足が可能なコミュニティーガーデン(有機野菜栽培)を住民とともに創っています。ただ、治療するのではなく、予防して健康になること! それがMFCGの使命です。

現在、私はミャンマー(旧ビルマ)のへき地ミャウンミャに住み、活動に従事しています。

よく、なぜミャンマーなのか? 菜園をしているのか? と聞かれます。

ズバリ“農村部に住んでいる住民が生きるため!”です。

ここミャンマーの人口の約70~80%は農村部で、日給約140円で生活を強いられています。電気もなく、安全な飲み水もありません。その日、その日をいかに生き抜くかが最優先。住民のほとんどはどうやって生き残るか、目の前のことだけで精一杯。もちろん、医療体制などほとんどない世界。そのような世界で、治療をしても、また、すぐに病気に罹り、戻ってきます。

なぜ、助けられないのか? 自問自答を繰り返した日々。乳児死亡率の第2位の死因は栄養不良。それならば、住民とともに、食べ物をつくろう。そして、健康になろう! と決心した時。
MFCGの構想はでき上がりました。

私が国際人道医療支援の道に入ったのは39歳の時。11年間勤務していた大学病院を辞め、すぐに、飛び込みたかった世界。でも、辞めてすぐ、原因不明の大病を患い、4カ月間の入院生活、その後7カ月間のリハビリを施行せざるをえませんでした。

私のボランティア医師として一番初めの勤務地はタイとミャンマーの国境沿いの難民キャンプ。その次にイラク戦争。その後に、ミャンマーとバングラデシュの国境沿いを船での巡回診療。さらに2008年死傷者14万人のサイクロンでの緊急医療人道支援などです。

2008年進行乳癌(Ⅱb)の診断を得たことをきっかけに、自分の団体「ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園開設基金」を設立。2012年に「ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)」と法人化。2015年からここ活動地に住み込み、活動に従事しています。ここでの生活は安全な水がない、電気がないなど厳しいです。それでも、我々「MFCGの活動がいらなくなること」をめざし日々活動に励んでいます!
皆さんも我々の活動を一緒に支えてみませんか?

HP[https://mfcg.or.jp/]
FB[https://web.facebook.com/mfcg.or.jp]

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