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予防医療とCOVID-19[炉辺閑話]

No.5045 (2021年01月02日発行) P.47

土岐祐一郎 (大阪大学医学部附属病院病院長・外科学講座消化器外科学教授 )

登録日: 2020-12-31

最終更新日: 2020-12-21

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医療には、治療、先制医療、予防医療の三段階がある。外科医である私はもっぱら治療の専門である。コロナ対策でも大学病院として最後の砦として重症患者の治療を担当することには強い使命を感じている。さらに、先制医療というのはがんで言えば検診、コロナの場合、PCR検査を駆使して無症状患者を洗い出すことである。第一波の迷走を経験して今は先制医療としてのPCR検査に異論を唱える人はほとんどいなくなった。

問題は予防医療である。COVID-19感染の予防は集団で行わないと効力を発揮しないという特色はあるものの、大学生の子どもが家で一日中ゴロゴロしているのをみると、その社会的な損失に強い落胆を覚えてしまう。お隣の大国のように、個人の自由や権利を社会で規制すればワクチンがなくてもこの病気は制御できるらしい。一方で、北欧や南米の国のように、多大な犠牲を払いながら予防医療に力を入れないという選択肢もある。

生活習慣病やがんにおいても予防医療は有効である。私も摂生して週40時間労働にすれば、持病の高血圧が治ることはわかっている。その治療で医療資源を消費し国家財政に負担をかけているので、人に迷惑をかけないという言い訳は成立しない。せめて超過勤務の時間でできるだけ国民のために働くからどうか私の不摂生を許してほしいと、予防医療の神様にお願いしている。

治療する医師は、簡単に酒・たばこをやめろ、体重を減らせ、野菜を食べろというが、人は健康のためだけに生きているのではない、目的のために健康を維持しようとするのだ。予防医療のイニシアチブは医師ではなく人々の側にある。

それにしてもwithコロナは辛い。個人の利益と社会の利益という究極の利益相反の中で、我々はwithコロナを生きている。そこには正解はなく、日本人が長年培ってきた肌の感覚がどこまでを許し、どこまでを規制するか決めるのである。我々の知恵と正義が問われているような気がする。

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