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私の宝物[プラタナス]

No.5039 (2020年11月21日発行) P.3

米田 稔 (葵会関節センター長・柏たなか病院整形外科)

登録日: 2020-11-21

最終更新日: 2020-11-23

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  • 腱や靱帯の骨への縫着材料として、様々なスーチャーアンカーが今や普通に用いられています。しかし、1980年代後半の肩関節鏡手術黎明期には金属ステイプルが用いられていました。これはそれよりも前、すなわち夜明け前のお話しです。

    1985年のある日、18歳の実業団女子バレーボールチームのエースアタッカーが肩を痛めて私のところにきました。関節鏡でみると肩関節唇の上方がボコッと剝がれ、浮き上がっていました。しかし、その当時は金属ステイプルもなく、ただ掃除をするのが精一杯でした。1986年、再度入院してもらい関節を切開し直視下に何とか縫着術を行いました。が、関節を切開したためか、術後は肩関節に少し運動制限が残りました。その時、鏡視下に修復できなかったことがとても悔やまれました。

    早速、金属ステイプルを米国から導入し、肩関節鏡手術の黎明期が始まりました。肩関節鏡手術の夜明けは鏡視下に修復することができなかった女子バレーボール選手のおかげで始まったのです。

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