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祝? 教授就任25周年[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(309)]

No.5019 (2020年07月04日発行) P.68

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2020-07-01

最終更新日: 2020-06-30

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7月1日で教授に就任して25年になる。早いものである、と言いたい気もするが、振り返ってみるとやっぱり長かった。

大阪大学微生物病研究所の教授としての着任だった。38歳、若かった。しかし、最初の3~4年ほどは業績がまったく出ず、スタッフの1人がトラブルを起こしがちだったことなどもあって、本当に大変だった。

早く教授になるよりも、もっと実力をつけてからの方がよかったかと、何度思ったかわからない。いまでもその考えは変わっていない。とはいっても、なれるときになっておく以外の選択肢はなかったのだが。

4~5人しかいない研究室というのは極めて非効率で、なかなか人が集まらないのが頭痛の種だった。それでも、なんとか少しずつ増えだした。あの当時、仲間になってくれた人たちには感謝しかない。

教授になって5年目には15人程度になって、ようやく一息ついた。いまとなっては、その程度の助走期間は必要だったと思えるけれども、なにしろ長かった。

2004年に医学部の病理学へ異動したのが大きな転機になった。研究室のメンバーは20名程度になり、そんな時代が10年近く続いた。教授に着任してから始めた新しいテーマが順調に進み、今から思えば、ずいぶんと勢いがあった。40代後半から50代半ばにかけて、研究者としていちばん脂が乗っているといわれる年齢の頃だ。

最近は便利なもので、Google Scholarを使えば、自分の論文がどれくらいの回数引用されているかが一目瞭然である。グラフを見てもらったらわかるように、主観的な研究室の勢いと、論文の被引用回数がほぼ一致している。当たり前といえば当たり前だが、すごいといえばすごい。

5年前に『其の54 祝! 教授就任20周年』というエッセイを書いている。あのころはまだ勢いがあったなぁと思って読み返してみたら、「晩節を汚すことなく、うまくフェードアウトしていければと考えている」と、すでにかなり弱気だった。とほほ。

その頃から、被引用回数は順当に(?)右肩下がりに。定年まであと2年たらず、研究室も10人を切ってずいぶん寂しくなった。でも、負け惜しみでもなんでもなく、まぁこんなものだろうという気がしている。なので、25周年は「祝!」ではなくて、謙虚に「祝?」にさせてもろときました。

なかののつぶやき
「ある年に論文が年間に何回引用されたかのグラフです。’95年に教授になって5年間くらいは雌伏の時。そこから徐々に増え続け、’12年から ’15年くらいがピーク。そして、あとはじり貧。数字、正直すぎて怖いです」

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