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在宅医療で学んだ「何事にも理由がある」[炉辺閑話]

No.4993 (2020年01月04日発行) P.23

山本由布 (筑波大学医学医療系地域総合診療医学講座)

登録日: 2020-01-02

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私は普段、在宅医療に従事している。患者さんの家に行くということは、その家族の生活そのままを目の当たりにする、ということである。医師としてはまだまだ道半ばの私であるが、様々な家族に出会い、彼らの感情に触れる中で、多くのことを学ばせて頂いた。

印象に残っている家族がいる。

患者さんは90歳代の女性で、認知症を患っていた。担当になったときには既に寝たきりであり、ぽつりぽつりと単語を発する他は、意味のある会話はできなかった。診察中にはよく嫌がって手が飛んできたが、診療の最後に笑顔を見せてくれると心が和んだ。同居していたのは独身の息子さんで、母の介護を1人で行っていたが、部屋や身なりは常にきちんと整っていた。

彼女は経口摂取ができず、在宅IVHを行っていた。カテーテル感染を起こしたり、褥瘡ができたりする度に、息子さんは「どんな姿になっても生きていて欲しい」、「1日でも長く生きて欲しい」と繰り返し、表情を固くした。私は、当初は息子さんの気持ちが理解できず、しばしば重い気持ちになった。
ある日の診察で、ふと「お母さんはどのような人か」と尋ねてみた。すると、料理上手で強くて優しい母であったこと、認知症を患ってからは人格が変わってしまい、そのような母を強く憎んだこと、今は落ち着いて過ごせるようになり、恩返しができて嬉しく思っていること、などを話してくれた。その話を聞いて、母の長生きを願う息子さんの気持ちが、少し腑に落ちた気がした。

皆が協力して穏やかに暮らしている家族、ごみで溢れる家に住む超高齢の夫婦、嫁姑関係に悩む家族など、家族の分だけストーリーがあり、人の言動には理由があるという当たり前のことを、私はこのような経験を通して少しずつ学んだ。そして、それはどのような人間関係においても同じだと最近は考える。うまくコミュニケーションが取れない、価値観が違う、と感じたときなどは、「何事にも理由がある」ことを意識して、相手のストーリーを聞くことにしている。いらいらやもやもやが、相手に対する興味に変わるのだ。

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