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電車でひとりぼっち[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(265)]

No.4973 (2019年08月17日発行) P.64

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2019-08-14

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ある日の午後、始発駅から地下鉄に乗った。1人分おいて隣の席に20歳代後半くらいの黒人のお兄さんが座った。見た感じはアフロアメリカンといったところか。

次第に電車が混み出してきた。しかし、誰もそのお兄さんと私の間の席に座ろうとしない。つり革が全部ふさがるくらいの乗車率になったけれど、そこだけが空席のまま。かなり不自然な状態である。

スリムなお兄さんなので、座るスペースは十分にある。基本的に実験派だから、その空いている席に移ってみようかと思った。そして、私が元いた席に誰かが座るかどうかを確かめたかったのだ。ただ、その空席とわたしの間にはスタンションポール―座席区切りのステンレス棒―があった。

動くとなると、どうしてもツーアクションになる。そこまでして席を移るのはいかがなものか。誰も気にしていないかもしれないが、そのお兄さんにとってはどうだろう。なんやこのおっさんは、俺に気があるのかとか思われるかもしれない。かなり悩んだ末に、やめておいた。

いろいろ想像してみた。たとえば、そのお兄さんが白人だったらどうだろう、とか、黒人でもお姉さんだったらどうだろう、とか。それに、異国で自分があの立場になったら、きっとイヤやろうなぁとか。

あからさまな差別というほどのことではないだろう。しかし、心理的な何かがあるに違いない。とか考えていたら、米国での経験を思い出した。

シカゴ郊外のオークパークは建築フリークにとっては素晴らしい観光地だ。名建築家フランク・ロイド・ライトが住居と設計事務所を構えていた町で、ライトが初期に設計した住居がたくさん残っている。ずいぶんと前だが、そこを訪れたことがある。

シカゴからの高架鉄道は、途中、かなり治安の悪い場所を通る。気づけば、ほぼ満員の車両の中、非黒人は私だけだった。乗っている人たちの社会経済状態はどう見てもかなり悪い。正直、ものすごく怖かった。

エンパシー(共感)とは、相手の靴を履いてみること、という考えがある。相手の席に座ってみるのも同じようなことだろう。いろいろ違いはあるが、黒人のお兄さんも私も電車でひとりぼっちという状況だった。もしかすると、あのお兄さん、ものすごく悲しかったのかもしれない。

なかののつぶやき
「今回の原稿を書きながら、『黒人』って使っていいのか、ちょっと迷いました。とはいえ、アフロアメリカンはかなり限定的だし、どうにも他の言葉は思いつきません。ネットで調べてみると、黒人というのは差別用語ではないようです。ゲノム解析から、人種などというのは存在しないことがわかった現在、こういった言葉をどう使うかというのは、意外とむずかしいですね」

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