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兵庫運河の傍らで病理診断を紡ぐ[エッセイ]

No.4953 (2019年03月30日発行) P.68

近藤武史 (神戸大学大学院医学研究科法医学分野講師)

登録日: 2019-03-31

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私は病理学から法医学に移籍した今も病理診断に関わっており、平家ゆかりの地にある病院で週に1回、夜間に病理診断を行っている。診断件数は年間千数百件を超えるほどであろうか。通常の法医学業務のあと、夜でも検査業務に忙しく走る人々の傍らで業務に従事する。私の本務は法医学であるが、最新の病理診断トレンドにキャッチアップできるよう日夜努力している。

この病院には、病理医人生最初の外勤先としてお世話になった。ここで当時の教室の主任教授に胃炎診断の初歩から学んだ。種々の臓器の切り出しも学んだが、なぜか特に印象に残っているのは虫垂の切り出し方だ。生まれて初めてシングルサインで診断を返したのもこの病院である。急速にテレパソロジーが勃興し診療報酬上も評価されつつある昨今ではあるが、10年以上前にパストランというデジタル画像伝送システムで教室と病院を結び、肝を冷やしつつ遠隔迅速病理診断をさせて頂いたことも懐かしい思い出である。

年間数十件の解剖整理も数年間させてもらい、これは病理解剖診断の基礎体力づくりに役立った。恩師に「こんな症例に当たって先生はラッキーやな」と言われた心サルコイドーシスのマクロ。典型的漆喰腎のマクロ。悪性黒色腫の肝転移(肝重量6.9kg!)。そして、この病院の症例の中から微小乳頭癌成分を含んだ残胃癌を論文発表したが、この論文は世界初となった〔Kondo T, et al: Dig Dis Sci. 2008;53(8):2287-9〕。

ヘリコバクターの惹起する炎症が多くの人々の胃粘膜を焼き尽くしている様は日常茶飯事である。世にかくもピロリ菌が浸淫しているのかと思い知る。前立腺TUR-P検体のピンク色のフィールドをひたすら駆け抜けていく日もあれば、細い茎を有する尿路上皮癌の乳頭状発育や、恐ろしく主張の強い膀胱の上皮内癌に遭遇する日もある。臨床医の要望に応じた鼻茸の組織中の好酸球数のカウント。H.E.染色標本中で最も華やかな像のひとつと私が信じる、花畑のような胃底腺ポリープの組織像に没入し、癒されることもある。腫瘍といいながらもきわめて整然とした低異型度管状腺腫の細胞配列。良性病変に美しさを感じる一方、がん症例が多い夜には身が引き締まる思いになる。

ウロパソ(泌尿器病理)をめざした時期もあり、泌尿器科系、特に前立腺には今でも興味がある。伯父を前立腺癌の尿路閉塞で亡くした経験もあり、いわゆる両染性の細胞質を有する前立腺癌には敏感になる。これら日常診断の病理像は、私にとっていわば筋トレのような役割を持っており、週に1度病理の世界へ戻ることは、病理診断の勘を保つために必要なものである。

1度離れたが、再度外勤先としてお世話になり既に数年が経過した。戻ってきた際には診断病理学講座を退職された名誉教授が勤務されており、大変お世話になった。診断に困ったときはサポートして頂いた。法医学者に協力的な先生であり、御在職中多くの法医学症例報告の組織所見を監修された。

本誌第4561号(2011年9月24日)「OPINION」欄に掲載された病理医不足に関する私の論考を読んで、「先生は筆も立つのですね」とお褒め頂いたことも光栄なことである。謹厳実直というべきその先生は、病理診断のすべての局面でいい加減さを許さなかった。先生の記述された病理解剖のプロトコールを拝見する機会があったが、その余りの細やかさに衝撃を覚えた。技師長に聞くと、解剖室に籠ってマクロと対峙されること数時間以上といったこともしばしばであったという。こういう人が初めてohne Sektion keine Pathologieという言葉を語れるのであろう。

2年前その名誉教授が急逝された。あまりの突然さに言葉を失った。先生の病理医歴は50年に及び、その間の病理学・病理診断の変化を含め、様々なことを御教示頂こうと思っていた矢先の出来事であり、非常に残念である。先生が残された御診断を何件か連名で仕上げさせてもらったが、生前に指示された前立腺の免疫染色標本中で陽性に染め出された基底細胞の圧倒的な存在感に私は息をのんだ。前立腺腺管の二層構造は常に私の興味をひくところであるが、その時の基底細胞はなぜか特に美しかった。

法医学に移ろうとも、私には病理という軸がある。外勤先の小さな組織片にも集中力を欠くことなく、今週も運河のほとりで病理診断を紡ぐ。

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