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老医とは?[エッセイ]

No.4951 (2019年03月16日発行) P.68

一林 繁 (いちばやし内科クリニック院長)

登録日: 2019-03-17

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先日、京都の古書店で随筆『老醫の繰言』を手に入れた。昭和9年、東学社刊、医学博士渡邊房吉著。戦前の書であるから現今のように著者略歴、紹介文はない。わたしの不見識であるが名士であることは間違いなく、内容を読んで類推するしかない。外科医、病院経営者(民間か?)、交流のある人々も社会的地位の高い人が多く、帝大出の先生と推察した。手術件数も他人の5倍はしたと豪語され、硬軟折り混ぜて、読者を飽きさせない。医者-患者の関係、戦前の保険制度の詳細は不可知ながら、先生曰く「世に保険者ほど不快なものはない」。また、被保険者となった患者の態度にもご立腹。耐え難い苦痛と述べられておられる。昔も今も同じ社会構造であったことを知る。また、趣味の短歌の項では、

けふもまた来もせぬ患者待てりけり
診察室に手を束ねつつ

同様の短歌数首あり。30年前のわが開業時を想い深く肯んぜざるをえなかった。ところで、先生がこのエッセイ集を出されたのは50歳半ばと知り、当方一瞬愕然となる。現在では働き盛り真っ只中だ。当時の平均寿命からすれば老医と自称されるのは当然なのかも知れぬが、それにしても老医は早かろう。

老医─辞書にその定義はない。自らがそう思い感じた時か、あるいは社会的通念で決まるものか。これに従えば、現代では65歳以上の医師はすべて老医となる。医師ならずとも大多数の人は多少ともこの数字に違和感を持っている。「まだ若い。会社も65歳まで仕事をくれる。国に至っては75歳位まで健康であれば働いて欲しいと、尻を押す勢いだ。年寄り扱いはまだ早い」。これが皆さんの表向きの本音。

だが、現実は如何。当然ながら長年開業していると、患者も医者も年を取る。ざっかけない付き合いの患者諸子と世間話(これも診療補助)になると必ず年齢の話になる。「いつまで働く?」「先生、いやあんたはまだ良い。年金の額をみるとゾッとするんや。70歳位まで最低働かんと生活が成り立たんのや」との返事が多くなった。「開業医は退職金なんぞはないんやで!退職金の運用でなんとかならんのか?」と問うても首を横に振るばかり。生々しい厳しい現実。国は働き方改革、労働力不足などを表看板にして、健康寿命まで現役で働いて欲しいのだろう。75歳超から老人という時代がすぐそこに来ているようだ。

さて、今一度老医とは。二十数年前、鹿児島県内の郡部で2代目を継いだ同級生が尊父のエッセイ集を送ってくれた。一読、この先生は大変な勉強家、最新の知識を得るため極限の努力をされていて、開業医の鑑のように感じたものだ。都市部でぼんやり暮らすわが身が恥ずかしかった。而、そんな先生でさえ、エッセイ集の最後の項に「年を取ると患者は信用してくれなくなるもんだなあ!」と慨歎されている。この言葉、妙に気にかかった。自身、古希を少し過ぎた今、70歳後半と推測されたこの先達の哀しみが少しばかり身にしみる。読み返してみて「老医とは患者諸氏が判定してくれるもの」と、ようやく納得した。ただし世間は広い。超高齢で大活躍されている医師も少なからずおられるのも事実だ。大溜息一つ。

わたしの現在進行形ながら、経験を1つ。高校時代の同級生の依頼で彼の親族の往診を15年来続けている。当時、患者A氏70歳半ば、3人家族(妻・娘)。言葉障害、嚥下障害、歩行障害を持つ。初めての訪問時、「先生、この人87歳まで生きたいと言うとります。お願いしますね」。奥さんの第一声である。さあて、人の寿命まで医師は責任を持てようか?困惑した。その後、診察を重ねるごとにこの家の事情が理解できてきた。A氏は現在も会社社長職にある。これだけで(名前だけでも)会社は安定しているのだそうだ。A氏59歳時病気発症。その一報だけで同業他社から株買収工作が入ったというから、実業の世界は生々しい。A氏は何としても生きなければならぬ状況にあったのだ。今、A氏は90歳。私の役目は十分果たしたと思っているが、この御宅に通い出して何年目のことだったろうか?ある時奥さんがなに気なく「お医者さんも70を越すと何か信用できんわ。先生、今いくつ?」あまりの直截な言にあわてた。以来、頭の隅にこの言葉がこびりついた。

現在、小生71歳、自己分析してみる。確かに医術力の低下を自覚。そして開業医として何よりも必要なフットワークの軽さ、往診先での急変に対する必要なねばり強さの低下と判断力のスピードの一拍の遅さは認めざるをえない。はて、奥さんに(付き合いの長さという多少の相互信頼を考慮しても)主治医交代を申し出るべきか?如何したものか!わが心凍りて寒からずも、懊悩深し。

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