No.4950 (2019年03月09日発行) P.67
仲野 徹 (大阪大学病理学教授)
登録日: 2019-03-06
最終更新日: 2019-03-05
子どもの頃は、ちょっとしたお手伝いをよくしたものだ。祖父のタバコを買いにいったり、祖母の医者通いや買い物の荷物持ちについていったり。お駄賃に10円玉をもらえるのがうれしかった。
中学校に入る頃まで、我が家は五右衛門風呂であった。それも、燃料はガスや石油ではなくて木だった。近所の果物屋、八百屋、魚屋、塩干屋さんから、木の箱をもらってくる。その箱をばらして、金槌で釘を危なくないようにして使っていた。
基本的には母親の仕事だったが、狭い裏庭で、その日に学校であったことなど話しながら手伝うのが楽しかった。だから、これは、駄賃なしの無償奉仕にしてあった。
こういう話を思い出していると、どんだけ歳をとったんや、という気がしてくる。いまや、箱はすべて段ボールだし、きっと街中で箱をくべたりすると、煙に苦情がくるにちがいない。
もうひとつ、すっかり忘れていたのだが、鰹節を削るのも、けっこうお気に入りの手伝いだった。昔は、味噌屋さんとか鰹節屋さんが近所にあったのも懐かしい。
どうして思い出したかというと、同居している母親が、テレビ番組で美味しそうな鰹節が削られているのを見て、死ぬまでに一度、削り立ての鰹節で卵ご飯を食べてみたい、と言い出したのである。
ときどき「死ぬまでに一度」詐欺にあわされているのではあるが、これくらいならたいしたことはない。はて、ネットで買おうかと思ったのだが、それも味気ない。
大阪ではちょっと有名な、レトロな町並みが残っている空堀商店街を散歩していて、偶然、鰹節屋さんに遭遇した。覗いてみると、鰹節削り器も売っている。昔ながらの桐製のやつを5千円ほどで購入した。
刃の出し方が微妙で、なかなか上手く削れず粉みたいになってしまう。それでも、驚くほど美味しい。いやぁ、鰹節ってこんなに香りと味が濃かったんやとびっくり。
パックの鰹節とはぜんぜん違う。年末に京都の錦市場で買ったけっこう高価な削りたての鰹節とも比べものにならない。「思い残すことはない、死んでもええ」とまでは言わなかったけれど、母親も大喜びだ。
ちょっと贅沢、とはいえしれている。久しぶりに親孝行もできたし、えらく満足度の高いお買い物でありました。
なかののつぶやき
「ちょっと前に、大阪と東京での言葉の違いについてしらべたことがあります。ネコまんま(あるいはニャンコめし)もそのひとつ。大阪でいうネコまんまは、ご飯に味噌汁をかけた行儀の悪い食べ物ですが、東京では鰹の削り節をかけたものをいうそうですね。鰹節ご飯は、ちゃんとした(?)人間さまの食べ物ですから、ネコまんまなどというのはいかがなものかと思いますけど、そうでもないですかね」