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「日本醫事新報百年史」の編纂を![炉辺閑話]

No.4941 (2019年01月05日発行) P.84

布施田哲也 (公立丹南病院病院長)

登録日: 2019-01-05

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「日本医事新報」を手に取るようになって三十数年が過ぎました。振り返ると、私はとても熱心に「日本医事新報」を読んできました。

大学時代、図書館2階の奥の書庫にあった昔の「日本医事新報」は、どの時代のものを読んでもとても面白く、誌面からは時代の雰囲気や匂いまで伝わってくるようでした。学生当時の「ジュニア版」には「私はなぜ現在の科目を選んだか」という研修医の1週間の激務の日々報告があり、近い将来の自分の姿を思い描いていました。

医師になってからは「人」、「お茶の水だより」、「質疑応答」、銷夏特集「緑陰随筆」、新春特集「炉辺閑話」などをとても楽しみにしてきました。昔の「炉辺閑話」は話題が多岐にわたっており、もうすぐ百歳だが週3回診療しているとか、戦争中の軍医の思い出、留学中の思い出、いつお迎えがきてもいいのにまだ生きていると毎年報告される先生、ペットの話をされる先生、絵・短歌・俳句・書・漢詩・篆刻等を披露される先生もいて、複数号にわたって特集が組まれていました。

平成に入った頃より徐々に投稿される先生方が減って、表紙の「醫事」が「医事」に変わったり、「緑陰随筆」がなくなったり、縦書きが横書きに変わったりしました。時代に合わせていろいろな読み物を提供してきた「日本医事新報」は、2021年にはおめでたいことに創刊100年を迎えようとしています。ここまでの道のりは決して順風なことばかりではなかったようで、特に1945(昭和20)年の東京大空襲以後、帝都の印刷工場が数次にわたり罹災し資材をことごとく失い、社長以下多くの社員が戦災に遭いました。罹災被害のことが記されている昭和20年5月発行のものは、「決戦版」と称してわずか4頁、そこには今後減頁し月2回の発行とすること、しかしながら日ならず週刊平常版に戻す強い決意が社告として示されています。

当時の梅澤彦太郎社長の鎌倉での仮住まいの住所や、帝都での主たる医学界の罹災者一覧も出ています。いろいろな歴史を経て「日本医事新報」の今があること、医家や医界へのこれまでの貢献を考えたとき、その歴史を広く知らしめるべく「日本醫事新報百年史」の刊行を愛読者の一人としてひそかに期待しているところです。

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