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カラヴァッジョ作「七つの慈悲の行い」からみた慈愛(カリタス)精神 [エッセイ]

No.4750 (2015年05月09日発行) P.70

杉田克生 (千葉大学教育学部基礎医科学教授)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-20

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  • 西欧社会は貧者の宗教と呼ばれるキリスト教を基盤としており、個人の慈善活動や公的な社会福祉行政の歴史も長い。中世までには確立した宗教的善行による慈愛(カリタス)から、近代の世俗的な集権的社会福祉へ転換してきている。カリタスから福祉への変容は16~17世紀におこったと考えられている。ヨーロッパ大陸ではベネディクト修道会の活動により、修道院型病院が病人のケアや食事の世話を行っていた。彼らの奉仕は宗教改革以後も衰えることはなく、時とともに市当局の公的行政管理下に置かれ、福祉医療事業が継続された。今回紹介するピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア聖堂の主祭壇画「七つの慈悲の行い」を描いたカラヴァッジョは、1591年9月29日(大天使ミカエルの日で、本名はミケランジェロ・メリージ)の生まれであり、まさにこの時期に一致している。

    『マタイによる福音書』第25章には、イエスの言葉として「キリスト教徒が最後の審判で永遠の救済を得るために励むべき善き行い」を説いている。すなわち、「飢えたものに食べものを与える」「渇く者に飲みものを与える」「旅人を迎える」「着るものを与える」「病人を見舞う」「囚人を訪問する」などの6つの善行がある。これらに「弔う者のいない死者の埋葬」を加えた7つの善行が「七つの慈悲(ミゼリコルディア)の行い」である。

    物質的な恵みが施し手の魂の救済への道を開くとされ、その基礎となる美徳こそカリタスとされてきた。ちなみに慈悲(ミゼリコルディア)とは、物質的な施しによる他者救済の意味である。ただしキリスト教徒がミゼリコルディアをいくら積み重ねても、それだけでは救済の道は開けないとされる。カリタスなるより高次の精神に支えられて、物質的な恵みは肉体と魂を育む糧となる。

    「七つの慈悲の行い」は、キリスト教的慈愛すなわちカリタスの具体的発露として、食べものなどの物質的善行が図像化した。カリタスなる最も重要な美徳を絵画に示すことは本来難しい。アウグスティヌスはカリタスには「神への愛」と「隣人愛」の2つの側面があると説いた。ただし「神への愛」を画像化することは困難であった。アウグスティヌスが「ミゼリコルディア(慈悲)」と名づけた隣人愛は、物質的救済を画像化しやすいためカリタス図像として表されてきている。当然のことながら、カラヴァッジョもこの歴史的背景からカリタスを図像化して「隣人愛」として「七つの慈悲の行い」を描いたのである。多くの奇行で有名なカラヴァッジョだが、キリスト教精神の深い理解とそれを具現化させる想像力は人間業とは思えない。

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