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28年間続く手紙のやり取りから学ぶこと [プラタナス]

No.4753 (2015年05月30日発行) P.1

山中克郎 (諏訪中央病院院長補佐(内科総合診療部))

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-17

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  • 私は1985年に名古屋大学医学部を卒業し、2年間の初期研修を終えて名古屋大学分院で血液内科を専攻した。名古屋大学ではこの頃からスーパーローテート方式の全科研修を行っていたので、専門分野の研修は卒後3年目からであった。

    重症再生不良性貧血の30代前半の男性が東京から転院してきた。HLAが一致する弟から骨髄移植を受けることになった。当時、骨髄移植を実施できる施設は全国でも数カ所に限られていた。血液内科を学び始めたばかりの私が、先輩の指導を受けながら主治医を務めることとなった。

    早朝、ポケットベルがけたたましく鳴った。表示を見ると病棟の電話番号である(今の若手医師には数字の羅列だけしか情報を伝えられない機能なんて信じられないだろうな)。慌てて病棟に電話した。「皮疹が出て息苦しさを訴えています」。ナースが切迫した声で急変を伝える。大急ぎで病院に向かう車の中、「アナフィラキシーだよな。まずアドレナリンを投与して、次に抗ヒスタミン薬、そしてステロイド……」、投与すべき薬とその順番を復唱していたことを思い出す。

    比較的順調に骨髄は生着したが、輸血後肝炎と慢性GVHD(graft-versus-host disease:移植片対宿主病)を起こしてしまった。当時はまだウイルスが同定されていなかったが、C型肝炎の発症であった。

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