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仙人からの贈り物 [エッセイ]

No.4781 (2015年12月12日発行) P.72

塚本玲三 (茅ヶ崎徳洲会病院)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-01

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  • 最近、「仙人」というニックネームのSさんが亡くなった。82歳であった。このニックネームの謂れは、その容貌と想像を絶する小食にあった。ミイラに近く、がりがりに痩せ衰え、白髪で山羊ひげを蓄え、たばこの煙の中に姿が霞んで見え、正にかすみを食べて生きたと言われる仙人としか呼びようがなかった。

    Sさんは、きわめてわずかな水分やカロリーを摂るだけで風邪もひかず、薬も飲まずに17年間も生き続けたのである。痩せがひどく、あばら骨が浮き出ていて、聴診器で心音を聴く際は大変苦労した。いつも閉め切った部屋のベッドの上に座ってたばこを吸い続け、ウイスキーをちびり、ちびりと飲んで飼い犬と一緒に1日を過ごしていた。

    Sさんに明らかな認知症はなく、トイレまでは自力で伝い歩きが可能であった。入浴は大嫌いで家族のひんしゅくをかっていたが、やがて介護保険制度がわが国でも始まり、週1回の入浴サービスを受けるようになった。訪問看護師やケアマネジャーなど若い女性が訪れるようになって、ひげも剃り、少し身ぎれいになり、たばこも止めた。しかし、超低カロリーの食生活は続いていた。

    かつて、Sさんは大企業の労働組合で大活躍をしていた。しかし、燃え尽きてしまったのか、68歳のときに酔って道路で転倒して左上腕を骨折して以来、まったく外出しなくなったとのことである。3年後には敗血症性ショック、急性アルコール性ケトアシドーシス、消化管出血、糖尿病、腎不全、肺炎、貧血、肝炎、胃潰瘍、腸閉塞などで入退院を繰り返し、医学的には予後きわめて不良と思われた。入院中は医師や看護師の指示に従わず、点滴を自己抜去したり服薬を拒否して、また何度も自己退院して病院のブラックリストに載っていた。退院後、家族の要望で私が往診を続けて経過観察を行ってきた。

    いかにSさんの食事量が少なかったか、退院当初のケースワーカーの記録を以下に紹介する。

    「平成10年9月9日:ご飯2口、刺身2切れ。9月10日:朝プリン1個、豆腐2口。夕方ごはん茶碗6分目。それに毎日ウイスキー少々」

    アルコール以外の水分摂取量は1日約250mL。ノンアルコールビールで禁酒を試みたが、どうしてもアルコール成分の飲み物がやめられないため、養命酒だけを許可した。

    亡くなる10年前からは刺身1〜2切れも食べたり食べなかったりで、1日に卵1個と養命酒2〜3カップ(1カップ60mL)だけで生き続けていた。卵1個は約80kcal、養命酒1カップは約109kcalとのことであるから、1日の摂取カロリーは300~400kcalであったと推定される。こんなにわずかなカロリーでもヒトは生き続けられるのである。第二次世界大戦中、ナチスの収容所で毎日パン1個とスープ1杯だけで風邪もひかず、けがをしても化膿もせず生きることができたという記録はあるが、17年間も生き続けたSさんには大変驚かされた。

    退院時38kgあった体重は、亡くなる直前には32kgに減少していた。身長は6年前のデータでは164.5cm。ここから計算するとBMIは11.8であった。医学の常識では、Sさんの年代でも自分で動かない状態での最低必要摂取カロリー(基礎代謝)は体重1kg当たり21.5kcalと言われていることから、Sさんは1日688kcal必要だったことになる。しかし、Sさんは何と必要カロリーの2分の1以下の摂取量で生き続けたのである。

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