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ありふれた空想症例で語る幸せの臨床推論[炉辺閑話]

No.5045 (2021年01月02日発行) P.34

高瀬啓至 (仙台市立病院救急科医長)

登録日: 2020-12-31

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しばらく医療機関受診がなかったその高齢女性は、救急外来搬入時には食事・歩行・意思疎通のすべてが満足に行えず、来院2時間で13のアクティブな診断・プロブレムが同定された。そこには、唯一の同居人である夫が、入院のための書類に40年前の自宅住所を記載する状況も含まれた。現場には傷病者が隠れている。

救急外来で多職種連携が開始された。 週末の夕方、両親と疎遠だった息子も交えたカンファレンスが行われた。息子は、2カ月前に母から突然お金を貸してくれと電話があり不審に思っていたが、母が銀行の暗証番号を思い出せなくなっていたことには気付かなかった。包括支援センター職員の報告では、居宅の冷蔵庫は空で、最後の2週間は米だけを煮て食べ、かつそれは夫のみに提供されていた可能性が高いようだった。不憫な妻に比べ、夫の栄養状態はあまりに保たれていた。 しかし、夫も既に衰弱し始めていた。

夫は、福祉により手配され毎日宅配される弁当を、どう勧めてもまったく口にしなかった。心配した支援者は近くの開業医に対応を相談したが、いずれ総合病院受診が必要と診察を謝絶された。もはや、いつ救急搬送されてもおかしくなかった。 カンファレンスに出席した担当医も、週明け一般外来に連絡をとしか言えなかった。が、翌朝ふと閃き息子へ、40年前のように食事を供してはどうかと電話した。
息子はシンクに溢れる汚れたままの食器を綺麗に洗い、弁当を装い直し、昔の食卓を思い出しテーブルに並べた。父を呼ぶと母はどこでしょうと聞かれ、咄嗟に叔母に会いに行ったようです、と伝えた。息子を息子とわからない父はうやうやしく礼を述べ、その男性の涙を怪訝に思いながら食事をすべて平らげ、ご馳走様でした、と言った。

治療は薬や手術とは限らない。救急搬送は回避され、父はソーシャルワーカーの提案した施設へ母と共に入所した。 現場は救命に忙殺されている。しかし、医療の本当の目標は、人の命を救うことではなく、人の幸せを救うことだろう。人生の最終段階を、“and they lived happily ever after”と結ぶために、医療ができることは、まだある。

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