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92歳 肺癌[炉辺閑話]

No.4993 (2020年01月04日発行) P.84

工藤寛之 (工藤内科クリニック院長)

登録日: 2020-01-06

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地方で母と二人暮らしをしている父の肺に異常が見つかったのは2月の初めでした。かかりつけ医に送ってもらった胸部X線写真には、左肺に空洞を伴う大きな腫瘤が映っています。「半年前の胸部X線検査では異常なしと判断したのですが、今、見直すとその時点で既に淡い影があります、見落としていました」という率直なコメントも付いていました。半月後、咳と胸痛、全身倦怠感が強まり、父は肺癌の診断で入院しました。

数学の教員であった父は90歳を過ぎても頭脳は明晰で、自分の病状についても正確に理解していて、緩和ケア病棟が空けばそちらに移してくれ、と言います。母さんに手間をかけさせたくないから家には帰らん、と。モルヒネの内服が始まったものの、日に日に痛みと倦怠感が耐えがたくなっていくようでした。順次見舞いに来た孫たち全員と会った後、何とか楽に寝かせてくれと強く希望し、ドルミカムⓇとモルヒネの持続皮下注が開始されました。昭和2年生まれの父が息を引き取ったのは、鎮静を始めてから1週間後、元号が令和に変わる数日前でした。

父は入院前に身辺整理を完璧に終えていました。未婚の孫たちそれぞれに未来の結婚祝いを用意し、遺言書だけでなく遺産分割協議書の下書きまでしていました。外泊を勧めても頑として首を縦に振らなかった父には、自宅ですべきことはすべて済ませた、もう二度と家には帰らない、という強い覚悟があったのだと思います。私もかくありたいと思う最期でした。頑固な父を看取ってくださった緩和ケア病棟の皆さんには深く感謝しています。そして、半年前に胸部写真の異常が指摘されなかったのは幸運だったとも思っています。その時点で気づいても、おそらく予後に変わりはなかったでしょうし、検査や治療についての提案に悩み、最後の正月も穏やかには迎えられなかったことでしょう。一開業医として常々感じている、高齢者にむやみに検査すべきではない、知らないほうがいいこともある、ということを改めて実感しました。

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