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京都鳴滝と芭蕉について[炉辺閑話]

No.4993 (2020年01月04日発行) P.73

小松建次 (京都嵯峨野病院病院長)

登録日: 2020-01-05

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私が勤務する嵯峨野病院の所在地は京都市右京区鳴滝であり、この鳴滝という地名は当院の近くを流れる御室川の瀑布状になっている箇所が滝のような音を響かせて、往時は遠くまで聞こえたという。今より川幅もかなり広いものであったようである。

滝に近い川岸に芭蕉の句碑がある。

既に字面は風化して判読しがたいが、「梅白し昨日や鶴を盗まれし」と読める。

貞享2(1685)年2月、芭蕉は「野ざらし紀行」の途中、奈良のお水取りを見物して、その後この鳴滝村を訪ねた。芭蕉門下で俳人の三井秋風の山荘「花村園」を訪ねてきて、ここで半月ばかり逗留していた。秋風は芭蕉の句の返句として「杉采に身擦る牛二つ馬一つ」として、芭蕉が詠んだ句のような鶴はいないが、杉采に体を擦り付ける牛が2頭、馬が1頭いますよ、と詠んでいる。なぜ芭蕉はこの山荘の庭に鶴の姿を想像したのだろう。

当時かなり大きな山荘で、広い庭園を有していたようである。中国の宋時代の詩人に林和靖(967~1028)という詩人による故事を、芭蕉は書を読み知っていたのかも知れない。

林和靖という詩人は生涯妻子を持たず、梅を妻のように愛し、鶴を飼って子のように可愛がっていた。このことから、風雅な生活を送ることを「梅妻鶴子」という故事となったという。京都御所の宜秋門の透かし彫りに「梅妻鶴子」に因んだ様子が彫り込まれている。江戸末期の頃の作である。

芭蕉がただの俳人でなく、書をよく読み、かなりな知識人であったことに改めて驚くことである。

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