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アンマンの思い出[炉辺閑話]

No.4993 (2020年01月04日発行) P.35

金子周一 (金沢大学消化器内科教授/第105回日本消化器病学会総会会長)

登録日: 2020-01-03

最終更新日: 2019-12-20

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このタイトルを会長講演で使わせて頂いた。思い出はこうである。私が教授になって間もない頃、ヨルダンの首都アンマンを訪れた。街は乾いた砂でうっすらと煙り、ひしめきあって建つ小さな家、そしてコーランの響きがあった。貧しい市民の生活を車窓から眺めながら、大きな病院を訪れた。その病院の医師は欧米で最新の医療を学び、最新鋭の機器をそろえていた。市民の生活と、恵まれた人とのギャップに大きな衝撃を受けた。そして、思いは大学に勤める自分となった。「最新の医療を学ぶことは重要であるけれど、同時に、何か新しい医学や医療をつくることに貢献しなくては、いつか日本もこういう国になってしまうのではないか」という、漠たる不安である。

医学部には日本を代表する優秀な学生が集まり、私達が教育を務めている。医師が診療を中心として社会に大きく貢献している。そのことが日本の豊かさに貢献していることは間違いない。しかし、理学・工学・薬学を抑えて、わが国が誇る優秀な理系の学生が医学部に集まったにしては、科学の発展、日本経済への貢献では十分な活躍をしていないのではないだろうか。特にこの数十年はそうであり、そういった人々が医学部以外に行っていたら、どれだけ日本に貢献してくれただろうか。今よりもっと元気な日本になっていたかもしれない。

日本全体のこと、こんな思いは教授になってから抱いただけである。私が医師になった頃、自分のことと、自分の周囲のことしか考えていなかった。しかし、振り返れば、私の恩師、服部信先生、小林健一先生の2人の教授が私を科学の道に導いてくれていた。周りにいる学生や若い医師をみると、昔の私と同じで最新の医療を学ぶことで精一杯である。教授という職業を与えられた限りは、この優秀な人達に科学への貢献、日本経済への貢献を教えることも、教授の重要な使命のひとつであり、そして学会の使命でもあると考えて講演をさせて頂いた。

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