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小林美代子の『幻境』─続・文学にみる医師像[エッセイ]

No.4976 (2019年09月07日発行) P.62

高橋正雄 (筑波大学名誉教授)

登録日: 2019-09-08

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1966(昭和41)年に小林美代子(1917~1973)が発表した『精神病院』は、単行本収録時に『幻境』(『蝕まれた虹』、烏有書林刊)と改題・加筆された作品である。作者の小林美代子は、1962(昭和37)年から5年間、精神科病院に入院している精神障害当事者であり、この作品もその時の体験に基づいて書かれたものであるが、この作品には、2人の対照的な精神科医が登場する。


1人は、主人公が最初、閉鎖病棟に入っていた時の主治医である。

そもそも主人公が発症した時の状況については、「私は4年間に亙り、家を2階建てにしたことを近所の人達に責め続けられたのが、発病の直接の原因となっているので、発病当時の妄想はそれを出発点としていた」と語っているように、「便所の天井で、近所の人が覗いている気がして、入れなかったりするようになっていた」という。その後、2階の廊下で、「全くこんな狭い所に二階など建てやがって」、「あの女っ子を殺してこの家を乗っ取ろうではないか、今のうちに殺してしまえ」といった聞き覚えのない荒い声が聞こえてきたので、驚いた主人公は国電に乗って弟の家に向かったが、「途中ホームや道路に何となく立っている人が、待ちぶせし、追いかけている人のように思え」たという。

この時の主人公には、幻聴や被害妄想、追跡妄想などの症状があったようであるが、その後も様々な幻覚や妄想が出現して、遂には見知らぬ家に入って、「助けて下さい、助けてー」と叫びながら寝室まで入り込むような事態に立ち至ったために、入院させられたのだという。

入院後は、簡単な診察の後、「強い薬を1日に3回、1回21錠も飲まされて、妄想さえ浮んでこない、深い深い眠りに三日三晩落ちた」。4日目に起こされた主人公は、ここで初めて本格的な診察を受けたのであるが、その時、主人公は医師との間で次のような遣り取りをしたという。「先生、1回21錠もお薬を飲んでいるのですが何をする気も起きず、夜昼となく眠く、歩きながらもうつらうつらし、壁に顔を打ちつけたりしています。手も後に回らなくなりました。どういう訳でしょうか」、「薬の副作用の場合もあります」、「お薬減らしていただけないでしょうか」、「我慢して下さい。病気を直す為ですから」、「私今は正常だと思いますけど」、「いいえよくなっていません」。

これが事実とすれば、患者の側から見れば取りつく島のない会話で、この医師は、患者の訴えをまともに聴く気がないのではないかとさえ思えてくる。そのため、主人公も「語り尽せない心に残っているものを、無理に飲みこんで勤務室を出た」のであるが、この閉鎖病棟での担当医の次の面接は、およそ2カ月後であった。

二度目の面接で主人公は、「夜、床の中に落着いていられなくなったのですけれど、幻聴も妄想も全然ありませんのに、体に動きが突き上げて来て、堪らなくなって廊下を歩いてしまうのです」、「入院当時はこんなことはありませんでした」と訴えた。しかし、この時も医師は、「多分、お薬の副作用ですね」と認めつつも、「少し我慢して下さい。病気を直す為ですからね」と言うだけで、何の対応もしなかったのである。

実は、この時主人公が訴えていた症状は、「麻雀をしていてもそれが始まると、立ったり座ったりしながらやっているうちに、どうにも辛くなりやめてしまいます」という表現からも、アカシジア(着座不能)という副作用の可能性が高く、薬の変更や抗コリン薬の投与などで改善しうるものであるが、この医師は、碌に身体的な診察もせずに、「じゃあお部屋に帰っていいです」と言うだけだったという。

そのため主人公は、一度精神障害者と認定されると「総て病気と片づけられて、医者にも理解して貰えない淋しさ」を感じているが、この医師は、院長と肌が合わないという噂を裏書きするように、急に辞めていった。

新しい担当医になって間もなく開放病棟に移された主人公は、開放病棟の医師から、入院するに至った経緯を訊かれた。実は、主人公は、近隣住民との諍いから妄想が発展してきたと考えていて、閉鎖病棟の担当医にもそのことは話していたのだが、閉鎖病棟の医師は、それは現実ではなく、その時既に妄想が始まっていたという意見で、「それがはっきり自分で判るまでは、やっぱり治療しないといけません」と述べていた。

しかし、今度の開放病棟の医師は、「家を持つとそうした煩わしいことがありがちですね、世の中には考えられないことが沢山あるものですね、苦労しましたね」と、それが事実か妄想かでは争わず、近隣とのトラブルで苦労したという主人公の感情―それは近隣からの嫌がらせが現実か妄想かには関わりなく、紛れもなく患者自身が感じた感情である―に焦点を当てて、その心情に共感を示したのである。

しかもこの医師は、「近所とのそのようなことに負けないような強い神経の持主になりましょうね」と、今後の治療目標を、妄想の消失ではなく、主人公が現に悩んでいる問題の解決という方向に具体化している。

これらは、いずれも妄想患者には有効かつ治療的な態度であるが、それに加えてこの医師は、主人公の「床の中に落着いていられないのです、特に足を動かし続けていないと辛いのです」というアカシジアを思わせる訴えにも、「では、お薬を軽いのに替えて見ましょう、楽になりますよ」と対応している。そしてその結果、1週間後の面接時には、主人公が「薬の替った翌日からじっとしていられるようになりました。あんなに苦しんだのが、苦しみがぽろりと抜けた感じで夢のようです」と言えるまでに改善するのである。

主人公は、こうした新しい担当医の適切な対応によって、「先生に事情を判っていただいてからは、今となっては過ぎたことにこだわることはやめようと思い、気持が明るくなって、家のことも忘れている時の方が多くなりました」と、近隣住民とのトラブルが現実か妄想か、という問題へのこだわりも自然に減じるようになっている。


すなわち、開放病棟の医師は、妄想を有する主人公に適切な対応をしただけでなく、薬の副作用にも的確に対応しているのであって、『幻境』は、昭和30年代のわが国の精神科病院にも、まともな診療ができる医師がいたことを示唆する作品なのである。

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