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ラダック再訪(その2)─千年一日がごとく[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(268)]

No.4976 (2019年09月07日発行) P.61

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2019-09-04

最終更新日: 2019-09-03

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ラダックには、京都大学がいろいろなフィールド研究をおこなってこられたドムカルという村がある。観光名所など何もない村で、その何もなさを観光資源にしようと企てられたほどだから、相当なものである。

川に沿った10kmほどの間に点々と集落があり、高低差は1000m以上におよぶその村を訪れた。目的は、もちろん、何もなさを味わうため。酔狂といえば酔狂なことだ。

いちばん高い標高4000mほどの集落にもちゃんと小学校があって、10人足らずの子どもたちがまじめに勉強していた。ラダックの子どもたちは目がきらきらしていて、本当にかわいらしい。

水車小屋では、老女が炒った大麦を石臼で挽いていた。ツァンパ=麦焦がし、大阪でいうところの「はったい粉」作りである。このあたりでは、ツァンパを壺に入れて、いつでも食べられるようにしてある。

やたらとよく喋る明るい老女で、家に来てお茶を飲んでいけという。あつかましいけれど、遠慮なくおうかがいすることに。

ラダックでお茶といえばバター茶だ。日本人を含む外国人にはあまり人気がないようだが、私はけっこう気に入ってよく飲んでいた。そのバター茶と、ツァンパと、おそらくは貴重品であろうパンをありがたく頂戴した。どれもインパクトのある味で、一生忘れることはないだろう。

おそらく、村人以外がやってくることなどほとんどないから、そうして招いてくれたのだと思う。15分ほどで失礼したが、その親切には恐れ入った。

翌日は、よりパキスタン国境に近い、「花の民」とも呼ばれる民族、ドクパが住むハヌーへ。博物館として使われている1000年ほど前の建物の造りは、前日に訪れた老女の家とほぼ同じだった。収穫、粉ひき、バター茶作りなど、ずっと昔から同じ生活が連綿と営まれ続けてきたということだ。

「あんたがた日本人は、こんなところまで来るなんて、ほんとに暇なのね。わたしなんか、毎日することがいっぱいあって、遠いところなんか行けやしないわ」。

別れ際、ドムカルの老女に言われた言葉が忘れられない。現代文明から遠く離れた場所で、日々同じことを繰り返す生活には絶対耐えられない。しかし、人間の幸せっていったい何なんだろう。真剣に考えこまされずにはいられなかった。

なかののつぶやき
「おもてなしをしてくれた老女。光の加減とか、ちょっとフェルメールの絵みたいなことないですか」

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