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中村古峡の『殻』─続・文学にみる医師像[エッセイ]

No.4975 (2019年08月31日発行) P.62

高橋正雄 (筑波大学名誉教授)

登録日: 2019-09-01

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1912(明治45)年7月から1912(大正元)年12月まで朝日新聞に連載された中村古峡の『殻』1)には、古峡自身を思わせる主人公が、幼馴染の医師に、弟の病の相談をする場面がある2)。この作品の主人公の稔は、統合失調症と思われる病を発症した弟の為雄を精神科病院に入院させるのであるが3)、入院費が嵩むため、入院を続けるべきか自宅で座敷牢に入れるべきかを、故郷で開業している川瀬医師に相談したのである。


久しぶりで稔に会った川瀬医師は、日頃診療している農民のことを、「田舎の百姓ほど始末にいけない者はない」と批判しながら、次のような愚痴をこぼす。「診察時間だの、休日だのと、少し規則的にやれば直ぐ不服を述べる。緩めれば附上って勝手放題な熱を吹いて来る」、「種痘を避ける。伝染病を隠蔽しようとする」、「甚だしいのになると、公然の夫婦間に出来た胎児の堕胎まで迫って来る」。

川瀬医師は、農民の健康意識の低さについても、「不摂生と過労の結果は、心臓病、喘息、胃拡張、下疳など、大抵の者がそうした慢性の病気を一つ二つ持っている。しかも自分の『持病』という名の下に、それを又平気で済ましている」、「どうにもこうにもならなくなるまでは決して医者に見せない。診せる時は大部分もう手後れである」と嘆のである。

農民には「衛生思想など説いて聞かすだけが野暮の骨頂だ」と考えている川瀬医師は、いささか悲観的ながら農村医学の先駆けのような問題意識の持ち主なのであって、とりわけ農民の貧困に基づく次のような行為も嘆いている。「老人には決して薬剤を飲ませない。只死んだ時の診断書を請求する予備に、兎も角医者に診せておくだけのことである。其の又払いの穢いこと、穢いこと。盆暮二期の勘定にさえ、何とか彼とか言っては延ばそうとする」、「若しや病人が死にでもしたら、一厘だって薬価を持って来る者がない」。

これらは、宮沢賢治的な純朴な農民像とは異なるもので、川瀬医師は、殊更人間の否定的な側面に敏感なリアリストではないかとも思われるが、その一方で、川瀬医師が、精神障害者に対しては共感的な態度を持していることは、注目に価する。

すなわち、川瀬医師は、稔の弟・為雄の病を「パラノイヤ(偏執狂)の一種」と診断して「全治は難かしい」「早晩精神衰弱症を発して、痴狂のようになる」と、その予後が楽観できないことを認識しながらも、「但し全治の困難なるものと雖も、稀には無期限に鎮静することもある」、「症候の善いのになると、一定の職業に凝り固まって毫も差支えのないものである」と、時には予後良好の場合もあるとの見方を示す。川瀬医師は、「この患者は非常に猜疑の念に富み、且妄想を逞しうする」と、患者の病理性を指摘する一方で、「その言うところ、為すところは、余り常人と異ならぬ」、「院内で相当の職業を覚えて、毫も生活に困らない者もある。だからある職業に意思を転向せしむると云うことも、亦一種の療法である」など、パラノイアという病の一時性や部分的な正常性、職業リハビリテーションの可能性といった肯定的な側面もきちんと把握しているのである。

さらに川瀬医師は、パラノイアの治療について、「妄想も又一種の煩悶からである以上は、為雄君を真人間として、誠心籠めたる訓戒を与えてやったなら、そこに必ず一道の光明を発揮せしむることが出来ると僕は確信する」と、心因論的な考えに基づいて愛情を旨とする精神療法の有効性を説き、「精神に異状あるにしても、それを狂人扱いにして、幾ら騒いだって治癒する筈がない。かかる患者は意識が混濁していないから、そんなことをすれば、却って猜疑心を増させるばかりだ」と、妄想患者を狂人扱いすることの反治療性を唱えるのである。

勿論、川瀬医師が主張しているように、妄想が「誠心籠めたる訓戒」だけで治るわけではない。しかし、そうした認識の甘さを認めた上でなお、川瀬医師の言葉は、明治末期の医師によって発せられた妄想の了解可能性や精神障害者に対する人道的な処遇の重要性を説いたものとして、特筆に価するのではあるまいか?特に、稔が川瀬医師に会う前に、「日本に於ける斯学界の泰斗」たる帝国精神病院長を訪ねた時には、その精神科医の言葉が、稔のことを憐れむというよりも、「新しい研究の資料を繹ねる態度」から出ていることに気づいて激しい屈辱を感じていることを思えば、田舎の一開業医たる川瀬医師が語る愛情を旨とした精神病者への対応の要諦は、貴重なものと言えるのではあるまいか?

実際、川瀬医師は、「稔の境遇に十分の同情を以て考えた極めて深切なる」手紙も書くなど、なまじ精神医学を専門としていないからこそ、重篤な患者を中心に診ていた当時の精神科医には気づきにくい、精神病者の健常性や正常性に気づいたというような側面もあったようである。

もっとも、その川瀬医師が、入院は金満家が万一の治癒をあてにすることとして、入院よりも座敷牢を推奨しているあたりは、座敷牢の苛酷な実態を無視した時代の限界と言えるのかもしれないし、逆に、当時の精神科病院の治療的無益性を告白した発言と言うべきかもしれない。また、すべての開業医が川瀬医師のような精神障害観を持っていたわけでもないであろうが、『殻』に川瀬医師のような開業医が描かれているという事実は、日本全国には幾百幾千の川瀬医師がいたことを示唆しているのではあるまいか?いや、精神科医の数が今よりも遙かに少なかった時代、特に地方では一般の開業医が否応なく精神障害者にも対応しなければならなかったという医療事情を考えるならば、少なからぬ数の精神障害者や家族が、川瀬医師のような開業医によって救われていたのではないかと推測される。その意味では、『殻』は、わが国の精神医療史において、なまじ精神科医などよりも心理洞察に長け、人情の機微に通じた一般の開業医が果した役割が決して小さくないことを示す作品ではないかと思われるのである。

【文献】

1) 中村古峡:編年体 大正文学全集2. 大正二年1913. ゆまに書房, 2000.

2) 高橋正雄:「精神医学的にみた近代日本文学・補遺3」, 聖マリアンナ医研誌. 2018;18:81-6.

3) 新田 篤, 他:日病跡誌. 2011;81:38-52.

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