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(面)白い巨塔[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(256)]

No.4964 (2019年06月15日発行) P.61

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2019-06-12

最終更新日: 2019-06-11

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『白い巨塔』、言わずと知れた山崎豊子の医療小説である。強烈な上昇志向を持つ外科医・財前五郎の栄光、医療訴訟での敗北、そして死、という物語だ。

昭和53年の田宮二郎版は学生時代、平成15年の唐沢寿明版は教授になってから観て、それぞれに楽しめた。フィクションとはいえ、なにしろ舞台は「浪速大学医学部」である。今回の岡田准一版も、制作されると知ってからずっと興味津々。

とはいえ、どういうふうに描かれるかが気になっていた。原作が書かれたのは昭和40年頃だ。近過去の「時代物」として描かれるのなら納得できるが、現代の物語にすると、リアリティーがなさすぎるだろう。

しかし、実際は後者だった。う~ん、一般の方がどのように見られたかはわからないが、どうにも時代錯誤感が大きすぎた。いまや医学部教授にそんな権威はない。いくらなんでもそれはないやろう、というシーンがいたるところにあった。

当然ながら、教授選で札束が飛び交うようなことはない。幸か不幸かは別として、少なくとも個人的には一度も経験したことがない。昔はあったんとちゃうんか、と思われるかもしれないが、私の先代の教授でも経験がないとのことだった。

いまどき、海外出張へ行くのに、医局員が大挙してお見送りなどということはありえんだろうが。あんなにピリピリした回診も過去の遺物だ。そういえば、教授室がどれも立派すぎ。その割には、秘書を通さずに人が入ってくるのが気になってしかたなかった。あかん、細かすぎるか…。

もうひとつ、違和感があったのは言葉である。医学部関係者は全員が標準語だった。せっかく大阪出身の岡田准一を起用したんやから、ちょっとくらいは大阪弁をしゃべらせてほしかったなぁ。

言葉といえば、医学用語が専門的すぎ。膵神経内分泌腫瘍、血管内大細胞リンパ腫、トルソー症候群とか、普通の人には聞き取ることすら難しかろう。無理せんともっとわかりよい病気でストーリーを作ったらええんとちゃうの。

とか、録画までした全5話をツッコミしながら観るのは面白かった。しかし、このような「現代劇」として制作されるのは、もうこれが最後でしょう。巨塔でも昭和は遠くなりにけり、ですかね。

なかののつぶやき
「今回の『白い巨塔』、なんとなく歌舞伎みたいな感じがしました。悪者があまりに悪者すぎて、善人はあくまで善人。それに、演技も全体に大仰な印象でした。特に岡田准一の身ぶり手ぶり。いずれ、うわぁこんな時代もあったのか、と思われるような劇になったらおもろいかなぁという気がしますけど、だいぶ先になりますかね」

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