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丸谷才一の『横しぐれ』─続・文学にみる医師像[エッセイ]

No.4950 (2019年03月09日発行) P.68

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2019-03-10

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1974(昭和49)年に丸谷才一が発表した『横しぐれ』(講談社刊)は、1953(昭和28)年に67歳で亡くなった主人公の父親の過去に関わる物語である。

主人公の父親は、水戸で開業していた産婦人科医であるが、「患者への責任をひどく重んじるたちの古風な町医者で、日曜祭日も診察したし、なかなか家をあけようとしなかったし、東京までなら2時間なのに、学会その他で出かけるのも数年に一度あるかないかで、それもごく短い日数に過ぎない」というような篤実な医師だった。父親は、「ただ働きづくめに働くだけで思い出話など滅多にしなかった」ものの、自分が病気になってからは、体調の良い時など、ぽつりぽつりと昔の話をするようになったのである。それは、たとえば、開業初日には畑違いの内科や小児科の患者が3人しか来なかったが、夜遅くなって難しいお産の往診を頼まれ、迎えの人が曳いてきた馬に乗って月夜の道を山中の村まで出かけたというような話だった。そんな話の中でも、父親が最も嬉しそうに話したのは、戦争が始まる少し前に四国に行った時の話だった。

その年の11月末、父親は、旧制高校の黒川という国語教師と一緒に松山に行ったのだが、道後の茶店で休んでいると、居合わせた坊主に馴れ馴れしく話しかけられて、3人で酒を飲んだ時の様子を、次のように語った。「坊主と言っても、てくてく歩いて廻る乞食坊主だが。しかし話が上手だったな。おもしろい話をたてつづけに、あんなにたくさん聞いたことはなかった」、「おれよりずっと年寄りなくせに、むやみに酒が強い坊主だった」。

結局、その乞食坊主は雨の中を出て行ったため、勘定はすっかり父親たちが払うことになったのだが、大学で国文学教室の助手をしていた主人公は、その時父親たちが酒を振る舞った坊主は、大酒家として有名な漂泊の俳人・山頭火だったのではないかと思うようになる。そのため、主人公は山頭火に関わる様々な資料を調べるのだが、その過程で、やはり旧制高校で地学を教えていた教師から、次のような思いがけない父親の過去を聞くことになる。

主人公の父親は、四国へ行った年の夏、「堕胎手術に失敗して患者を死なせ、一ケ月の営業停止をくらった」。しかも、亡くなった患者は、以前、父親と関係のあった未亡人で、父親とは10年前に縁が切れていたが、今度は若い男と親しくなって妊娠したのである。しかし、その男は既に出征していたため、女はある婦人科医に手術を頼んだものの、「当時、妊娠中絶はきびしく禁じられていて、発覚すれば医師権を剝奪されるのが普通だった」から、当然のごとく断られた。そのため、女は父親のところへ相談に来たのだが、この時点では妊娠3カ月で手術そのものは可能としても、「警察沙汰にならないという保證はまったくない」ため、父親も一旦は断った。しかし、それから2カ月後、万策尽きて困り果てた女から改めて哀願された父親は、拒みきれずに中絶手術をして、失敗した。女は入院して手術を受け、亡くなったのである。

父親は、警察に手をまわしたり、医師会長の協力も得て、結核なのでやむをえず行った手術の失敗ということにしようとしたが、赴任したばかりの地方新聞の編集長が派手に書き立てたために、公になった。そして、本来なら医師権を剝奪されても仕方のないところを、不起訴となって営業停止で済み、その営業停止も1カ月だけだったものの、この事件が父親に与えた打撃は大きかった。「患者がへるようなことはなくて相変らず忙しかったけれど、一人になるとすっかりふさぎこんで溜息ばかりついていた」のである。

それを見かねた旧制高校の黒川先生が、ちょうど郷里に帰る用があるからと父親を誘って四国への旅に出かけ、あの乞食坊主に会ったわけだが、この旅は予想以上の成果を収めた。帰るとすぐではないにしても、父親は正月頃から元気になって、立ち直ったのである。

当時の父親は、医療ミスとそれに伴う一連の騒動に反応する形でうつ状態になったものと思われるが、この話を聞いた主人公は、「びっくりしました。そんな艶福の持主だなんて」、「堅物だとばかり思ってました」と、父親の意外な姿に驚く。しかし、中学1年だった当時を思い出すと、主人公にはいろいろと思い当たることがあった。あの夏、母親の姿が見えなくなった時に祖母が大急ぎで探しに行けと命じたのは、母親の自殺を恐れてのことだったのではないか?あの夏以降、中学の上級生や町の大人たちが、父親について話す時の意味不明な台詞や表情も、この事件を仄めかしたものではなかったか?また、父親は難しい患者がいると不機嫌だったが、「もの心ついたころから馴染みが深い父の不機嫌には女への未練とそれにもかかわらずこの家庭この妻子に縛られていることへの不満のあらわれという面もかなりあったのではないか」?そして、それを医者の責任感のせいと子どもたちに教えたのは、母親の知恵ではなかったか?

そんなことを考えた主人公は、父親の跡を継いで開業医をしている兄に、事の真相を問いただそうとする。それは、父親一人の事件にとどまらず、それを知ることによって、自分の幼少期を明らかにしたい、自分の個性の形成期を知りたい、あいまいな自我の輪郭をはっきりさせたい、という主人公自身の自己認識の欲求でもあった。

しかし、「これは二代目である実直な町医者にとっては、やはりなるべくならば忘れていたい事柄、縁起でもない話題ではなかろうか」と、兄の心情に思い至った主人公は、これ以上、この問題を追及することを断念する。この時主人公は、「もしわたしの存在の形が曖昧ならば、数十年前の事件の一部始終を改めて探ったとてそれは相変らず朦朧としているにちがいないし、もしわたしが寂しいならば、その寂しさを埋めるに価するものは過去への認識では決して得られないだろう」、「今夜耳にしたあの話だけで、父の悩みもそして母の苦しみも充分ではないか」と自分に言い聞かせたのであり、それは、現在の自分に父親や母親の影響があるとしても、過去の事情を知ったからといって現在の問題が解決するわけではないことを、悟ったということでもある。

主人公は、「数知れない真実の断片にとり囲まれて生きるのがわれわれの姿」であり、人生には過去を明らかにすること以上に大切なものがあることを知ったのである。

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