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師弟論(その3)─そして本庶研[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(231)]

No.4938 (2018年12月15日発行) P.65

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2018-12-12

最終更新日: 2018-12-11

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有給休職で留学した場合、出身教室に戻るのがルールだ。不肖の弟子であったにもかかわらず、初代師匠の北村先生から、助教授としての帰国をお誘いいただいた。

しかし、それにはひとつ条件があった。北村先生は研究施設の教授だったが、わたしの留学中に医学部の病理学に異動されていたのだ。そのポストにつけば、病理解剖などの義務をはたさなければならない。

不義理は承知だが、イヤなものはイヤだ。キッパリとお断りするしかない。だから、帰国後の職を自分で探す必要があった。

そこへもってきて、世界の本庶先生からのポストオファーである。どうして断ることなどできましょうか。探したり選んだりではなく、3人目の師匠も、かくして行きがかりじょうで決まったのでありました。

出張でハイデルベルクに来られた本庶先生とお話した時のことは、ありありと思い出すことができる。科学について、これからの研究について、心底しびれた。世の中にこんなすごい先生がおられるのか、この先生に一生ついていこうと思った。

しかし、帰国後の現実は厳しかった。いい論文を出さないといけないというプレッシャーは異常なまでに大きかった。今思えば、どうしてそんなに追い込まれていたのかわからない。しかし、本当につらかった。

自分だけが単独のテーマで研究していた。そのこともあって、本庶先生とよく衝突した。それでも、なんとか、本庶先生に認めてもらえるような仕事をしなければと歯を食いしばってがんばった。苦節3年、ようやくいい研究ができた。幸運だった。

そこそこの研究では、結局のところ、何も残らない。なにしろ一流の研究をせよ、という姿勢をたたき込まれたのは大きかった。そして、もうひとつは、“Stick to the question”知りたいことに固執せよ、ということ。易きに流れそうな時、本庶先生の教えを思い出しては身を奮い立たせた。

自分のテーマで研究させてもらえたのは実にありがたかった。教授選出の電話をうけて、真っ先に教授室へと報告しに行った時のこともよく覚えている。その時の笑顔も、握手していただいた手のぬくもりも。

その時つくづく思った。いろんなことがあって、1日も早くやめたいと思い続けていたけれど、師匠は本当にありがたいものだと。いやはや、弟子というのは勝手である。

なかののつぶやき

「本庶先生との秘蔵ツーショット写真。忘年会でなにかの景品をもらっているところ(1991年)。その割には深々と頭をさげてますけど」

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