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師弟論(その2)─Träume in Heidelberg 夢のハイデルベルク[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(230)]

No.4937 (2018年12月08日発行) P.67

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2018-12-05

最終更新日: 2018-12-04

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研究とて、同じところで何年もやっていると次第にマンネリ化して飽きてくる。そんな不満が溜まったこともあり、初代師匠の北村先生と衝突することも増えてきた。

まったく至らぬ弟子である。しかし、これは、自分にとっての科学というものを手に入れたいがために、指導者に対して抱くアンビバレントな心理。いわばエディプスコンプレックスに近いようなものではなかったかと考えている。

自己正当化しすぎかもしれないが、これはそう悪いことではなかろう。そうでなければ、弟子はすべて茶坊主化してしまう。

留学先を探すには師匠に頼るしかない。時代は分子生物学である。経験もないのに、造血を分子レベルで解析している研究室へ行きたいとの希望をお伝えした。

3つの候補のうち2つは、その研究内容をよく知っていた。残りの1つは、ニワトリのウイルス性白血病をテーマにしているまったく知らない研究室だった。

3つともに手紙を書いた。そしたら、ある日、その知らなかった研究室の主宰者Thomas Graf先生から電話がかかってきた。あまりの突然さに、断るということなど頭に浮かばず、Yesとこたえていた。

行き先は西ドイツのハイデルベルクにあるヨーロッパ分子生物学研究所(EMBL)だ。留学の後、研究をやめてお医者さんをしてもいいやと思っていたので、ヨーロッパならいろいろ観光できるという邪な気持ちもあった。そんなこんなで、2人目の師匠選択も、行きがかりじょうであった。

ボスは優れた研究者であり、素晴らしい指導者でもあった。「科学のフロンティアでは、すべての研究者が平等である」、「実験結果は素直に受け入れよ」、「アイデアだけで実行しなければ意味がない」、「自分を客観視する姿勢を身につけよ」など、本当にいろいろなことを教えてもらえた。

それに、少し遅く、といっても8時頃まで研究室にいると、「トオルには家族があるのだからもう帰れ」という。夏期休暇はしっかり4週間とって、お前もそれくらい休めという。素晴らしすぎるではないか。

ゆったりと研究を楽しめた。本当に夢のような時代だった。そんなある日、知り合いの先生から、本庶佑先生の研究室に空きポストがあるから、帰国しないかとの手紙をいただいた。晴天の霹靂であった。

なかののつぶやき
「EMBLはハイデルベルク郊外にある研究所です。いまは巨大になってますが、当時は研究者が200〜300名という、こぢんまりした研究所でした。ヨーロッパ各国からの研究者がいたので、文化的にも楽しめました。日本人はわたし1人だけで、寂しい時には、研究室の窓から牧場を眺めて心をなぐさめていたものです」

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