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Choosing Wisely(チュージング・ワイズリー、賢明な選択)について[エッセイ]

No.4933 (2018年11月10日発行) P.68

加藤芳正 (北医療生活協同組合北病院整形外科)

登録日: 2018-11-11

最終更新日: 2018-11-06

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40年以上医療に携わってきた医師として今思うことは、いかに無駄な医療が当たり前のごとく行われているか、ということ。医学の進歩は目覚ましく、CTやMRI、PET検査などでがんを早期発見して早期治療をすることが最善の医療であり、それが医師の使命であると同時に、最新の医療機器を使いこなしている医師が名医であるかのような錯覚に陥っている。

たとえPET検査でも、がんの診断が100%できるわけではない。非常に小さな「がんの疑い」という所見があっても、それだけでがんと確定できたわけではなく、さらに腫瘍マーカーなど様々な検査をして初めて確定診断となる。結局がんではなかった、という結論の場合もあり、患者は肉体的、経済的負担を強いられたにもかかわらず、がんでなくてよかったと喜ぶのか、医者はPET検査の意義について疑問を抱きつつも、「万が一」に備えてやることはやった、と満足感に浸るのであろうか。医療に無駄はつきものとはいうものの、費用対効果の考えが医療にはそぐわないとは単純には言えない。

2017年、国立がん研究センターが発表した「高齢者へのがん医療の効果にかかる研究報告」によれば、末期がん患者で抗癌剤治療を受けた患者と緩和治療を中心に受けた患者の年齢別生存率を比較した統計では、75歳以上では大きな差は認められなかったとのこと。医師が主導権を握りやすい医療において、奇跡を信じて抗癌剤治療を受けて、副作用で苦しんで最後の人生を終えることが唯一の選択肢ではない。これは非常に興味深い報告であるが、ただこの統計については母集団が少ないため、厚生労働省では今後さらに調査を進めていく意向らしい。いずれにしても「奇跡=無駄な医療」とは言わないが、EBM(evidence based medicine)に基づいた医療が求められると思う。

16年10月、「チュージング・ワイズリー・ジャパン(CWJ)」が発足した。元々12年、米国の内科専門医認定機構財団が「不要かもしれない過剰な検診や、無駄であるばかりか有害な医療を啓発していこう」と呼びかけたキャンペーンが始まりである。全米では400以上の「無駄な医療」が指摘されているが、日本ではCWJのメンバーである徳田安春医師が世話人を務める、総合診療指導医の勉強会である「ジェネラリスト教育コンソーシアム」が、米国やカナダの学会がまとめた提言を検証して日本の現状に即した5つの「無駄な医療」を指摘した。

①無症状の健康な人にPET(陽電子放射断層撮影)検診は勧めない
②無症状の健康な人に腫瘍マーカー検査は勧めない
③無症状の健康な人に脳MRI検査は勧めない
④自然に治る腹痛(非特異的腹痛)に腹部CT検査は勧めない
⑤医学的適応のない尿路カテーテル留置は勧めない

症状が出る前に異常を早期発見して病気を予防することに異議を唱えるわけではないが、異常のすべてが治療の必要な病気に結びつくとは限らず、自然に治ってしまったり、ただの加齢に伴う異常データのこともある。

私は団塊の世代の人間で、昭和時代の医師である。MRIもなければPETもない時代に研修医になり、問診や視診、聴診、打診が病気を診断する上で最も大切であり、X線検査や血液検査などは診断を確定するための補助的な手段であることを教え込まれた。ところが今はどうであろう。理学的所見よりもまず検査が第一であり、検査データに異常があったら、診断はともかくデータの補正から治療が始まる。検査は診断を裏づけして適切な治療を行うためのものであって、「数打ちゃ当たる」方式のスクリーニング的な検査であってはならない。

私が今心がけている医療の考え方を箇条書きにまとめてみた。

①治療に結びつかない検査はしない
②薬は診断に適した必要最低限の処方
③診断に適した薬を処方するのであって、処方に適した診断をするのではない
④身体にメスを入れるのは極力避ける
⑤医師の趣向で治療をするのではなくEBMが大切
⑥神の手、スーパードクターは存在しない
⑦医療に奇跡は存在しない、そもそもの生命力が人の命を救う
⑧医師の使命は命を救う治療をすることが唯一ではなく、尊厳死も選択のひとつである

私は現在パート勤務のみの医師であるが、60歳までクリニックを開業していた。24時間365日、患者のことばかりではなくクリニック経営のことも、片時も頭から離れたことはない。必死で働いた20年間の開業医生活を振り返って思うことは、経営を安定させたいという気持ちが、知らず知らずのうちに診療に反映されてしまっていたことである。はたして本当に必要な医療行為であったのか、当時は考えもしなかった罪悪感のようなものが頭をよぎる。パート勤務の医師となり約10年、経営から離れて、患者が求める医療に営業抜きで真に向き合うことができていることを、今幸せに感じている。

もう1つ、私がいまだに払拭できていないことがある。それは医師、特に外科系医師は、身体にメスを入れるという、直接生命に関わる医療行為をし、その出来栄えが医師の評価につながるために、こなした症例の数が医師の技量を判断する1つの目安となっている。そして、そのために熟練を積むことが、一方で必要のない外科的手段を選択することにつながってはいないだろうか、という疑問である。

随分言いたい放題のことを言ってしまったが、無駄を省くことが、決して医療の質の低下や手抜きにつながってはいけないことは当然である。

私は今68歳になり、あと何年医師として患者と向き合うことができるかわからないが、何が無駄な医療なのかを生涯自問自答しながら、医療との関わりを絶つことなく人生を終えることになるであろう。

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