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厨川白村の『近代文学十講』─明治期末の病跡学[エッセイ]

No.4918 (2018年07月28日発行) P.66

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2018-07-29

最終更新日: 2018-07-24

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厨川白村(1880~1923)は、明治から大正にかけて活躍した文芸評論家で、工藤貴正によれば、中国語圏の知識人の間では鷗外や漱石よりも知名度が高いとのことであるが1)、彼は東京大学で夏目漱石の薫陶を受けた英文学者でもある。そして、彼の師たる漱石が天才と狂気の関係を考える病跡学に関心を持っていたように2)3)、白村もまた、病跡学に関心の高い人物だったようである。

1912(明治45)年、白村が33歳のときに発表した『近代文学十講』4)の「第二講 近代の生活」の中の「疲労及び神経の病的状態」では、近代都市の生存競争と外界の刺激が「都会病」を引き起こし、「精神病psychopathy神経衰弱neurastheniaは、『世紀末』の人間に通有な病となった」として、当時の病跡学者の見解を次のように紹介している。「一部の学者は近代の作家を以って、明かに高等変質者dégénérés supérieursであると断じた。即ち神経の働きが全くpathologicalになってしまって、恰かもそれは常人と狂人との中間に位する者であると見なしている」。

こうした当時の病跡学的な見解を紹介した上で、白村は「ニイチェやモオパッサンのように癲狂院の厄介になった人もある事だから、これも必ずしも誣妄であるとは言えない」と、その見解に一定の賛意を示しながら、「かかる一派の所説を代表する者はMax Nordau氏である」と、当時の病跡学者の代表格としてマックス・ノルダウの名前を挙げるのである。

白村が、ノルダウの著作で最も重視するのは『変質』(Degeneration)という作品で、「一方には科学の確かな論拠により、一方には文芸の作物を精細に調べての論であるから、確かに一顧の価値はある」と評価する姿勢を示した上で、ノルダウが語る変質者の特徴を次のように要約している。

①‌顔面や頭蓋の左右不平均、耳の形の不完全さ、斜視など、種々の点で「身体上の不具者」である。また、「精神状態に於ても不具者」であって、ほとんど道徳観念の無いmoral insanityで、無闇に自我の念の強いことと一時の衝動に動かされやすいことが、この没常識不道徳の心理的原因をなしている。

②‌情緒を動かされやすく、何でもない事に泣いたり笑ったりするが、当人はこの鋭敏さを誇りとして、得意がっている。

③‌心意の薄弱と元気の鎮沈。周囲の状況によって、厭世悲観となったり、宇宙・人生すべてに対する恐怖となったりする。

④‌活動に物鬱い状態になり、脳力の欠乏と意志の薄弱ゆえに、安逸無為を貪る。

⑤‌取りとめない夢想に耽る。ただし、長く注意を一事に集注して纏まった思想にする脳力がないため、曖昧で断片的な妄想にとどまる。

⑥‌懐疑的な傾向、即ち種々の問題に疑惑を抱いてその根柢を詮索し、解決が得られないといって煩悶する。自己の周囲にある現状に満足しないから、革命だの改善だのと騒ぎ立てるが、その結果がうまく行った例はない。

⑦‌神秘狂、即ちmystical deliriumの状態で、神秘的な宗教信仰などに凝り固まる。

このほかにもノルダウは、近代人の「hysteriaの病的状態」として、何事にも印象を受けやすく暗示にかかりやすいことや、自己中心的といった特徴を挙げているが、その一方で、「こういうdiagnosisから考えて、これらの精神的不具者を以て直ちに無能な腑甲斐ない人間だと思うならば、それこそ大なる誤解である」として、これら「精神的不具者」の価値を次のように称揚している。「すべての天才、殊に文芸上の天才といわれる人々は、その人の精神的能力が偏頗に発達し、一方面にばかり延びたために、他の能力が萎靡振わなくなり、従って病的になった者である」、「近代に於いては物質的進歩の結果として、分業という事が益々細別され、各人専門の範囲が狭くなるに従って、ある者は視神経ばかりを過度に使い、ある者は聴神経にばかり鋭敏な刺激をうけ、腕力ばかり働かす人、脳力ばかり使う人、という風に分業が盛んである。そして多く用ゆる部分が多く発達するのは一般進化の原則であるから、勢い他方面の能力を萎縮せしめこれを犠牲にして、能力が一方面にばかり限られて偏頗に発達する」、「これが即ち近代に於て精神的不具者の多い原因で、故ロムブロソ教授の如きは、これらの変質者こそ人類一般の文明を進歩せしむる活力であるとさえ断言した」。

ノルダウは、近代の専門化・分業化が精神的な偏りの強い変質者をつくり出したとしながらも、こうした変質者こそが文明を進歩させると考えていたのである。

白村は、以上のようにノルダウの見解を紹介しながらも、その一方で、「ノルダウ氏の論は全く病理学の見地からのみ説かれた純然たる物質的観察であって、思想界に於ける大勢の推移というような大切な側は全く閉却されている」、「とかく医者だの科学者だのという者はいつもこういう一方に偏した僻説を吐く」と、その限界もまた指摘している。

このように見てくると、白村はわが国で最も早くノルダウに関わる本格的な論考を発表した病跡学の先駆者であることがわかる。わが国で天才と狂気の関係に関する病跡学的な関心が高まったのは、辻 潤らによってロンブローゾの著作が翻訳された1914(大正3)年以降とされているが、白村はその2年前に、ロンブローゾの弟子筋にあたるノルダウの学説を紹介していたのである。特に、ノルダウの見解に一定の理解を示しつつも、その見解を鵜呑みにすることなく、自分なりの批判的な意見を加えているあたりには、やはりロンブローゾやノルダウの著作を熟読しつつも批判的な姿勢を忘れなかった13歳年長の恩師・夏目漱石を想起させるものがあるが、白村の病跡学的な見解はその後、『病的性慾と文学』、『文芸と性慾』、『苦悶の象徴』などの作品でも展開されることになる。

【文献】

1) 工藤貴正:中国語圏における厨川白村現象. 思文閣出版, 2010.

2) 高橋正雄:日病跡誌. 2010;80:77-80.

3) 高橋正雄:日病跡誌. 2011;82:87-90.

4) 厨川白村:厨川白村集. 全6巻. 厨川白村集刊行会, 1924-26.

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