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あらためて「在宅死のすすめ」[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.98

池端幸彦 (日本慢性期医療協会副会長)

登録日: 2018-01-06

最終更新日: 2017-12-22

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2018年は医療介護分野にとっては大きな節目の年であり、「地域包括ケア」「地域医療構想」をはじめ、一気に進む超高齢化と限りある財源の狭間で、確実に推進すべき政策が目白押しである。そして、そこに共通するキーワードとして「在宅医療」があるのだが、依然として看取りの場は約8割近くが医療機関という現実がある。

では、在宅医療と入院医療の大きな違いは一体何であろうか?もちろん、その場で提供できる医療の質・量は圧倒的に違うかもしれない。しかし今では、呼吸器や酸素を常時装着し、医師・看護師が連日訪問するような重装備の在宅医療も可能である。私は、その一番の違いは利用者(患者)本人の主体性の差であり、生活の場で医療を提供されることを望むか、はたまた医療の場で生活をすることを望むか、の差なのではないかと思っている。たとえ病状が重くても、大抵は集中治療の時期が過ぎれば、食べたり、動いたり、会話をしたり……という「生きるための動」が始まる。それが人工栄養や介護の手助けが必要だったりしても、それはもうその人の「生活」であり「人生」なのである。生活の中に医療を入れるのか、医療の中に生活を入れるのか、言い変えれば、生きるために医療を受けるか、医療を受けるために生きるのかの選択。

そして、それを支えるべき家族にとっての大事な要素は、「覚悟」と「楽観」ではないだろうか。たとえ世界一優秀なスタッフに囲まれて世界一の医療・介護を提供されていても、いずれ死から逃れることはできないという周囲(家族)の「覚悟」と、困った時には専門家に頼めばいいし100点の介護なんて無理だけど、できることを精一杯やれればいい、という「楽観論」もまた必要ではないか。

もちろん、慢性期医療に身を置くものとして、単に年齢で提供する医療を制限するつもりなど毛頭ない。ただ、もう十分生きたと思える年頃(!?)になり、必要十分な医療を提供された末の人生の最後の時に、果たしてどちらを選択するのか。そろそろ逃げずに皆でそんな議論をするべき「時代」がきていると感じている。

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